歴史
この路線は、当初は貨物営業を主とする狭い軌道として始まった。1906年に南安東(現在の音羽町付近)- 入江町間の、1907年には鷹匠町(後の新静岡)方面および清水の波止場である受新田への延伸の、それぞれ軌道敷設特許が与えられた。1908年5月18日、実業家の雨宮敬次郎を社長とする(旧)静岡鉄道が、辻村(現在の新清水)- 清水町(後の波止場)間を最初に開業した。これは762ミリメートル軌間で、蒸気動力により貨物のみを輸送するものであった。同区間の旅客営業は1908年7月1日に始まり、1908年12月9日には鷹匠町 - 辻村間が開業して鷹匠町から波止場までが全通した。その距離は当時7マイル50チェーンと測られていた。
開業初期の数十年間、経営は次々と移り変わった。1908年8月、(旧)静岡鉄道は大日本軌道に合併されて同社の静岡支社となり、路線は1919年5月1日に駿遠電気へ譲渡された。駿遠電気のもとで鉄道は近代化され、1920年8月2日に762ミリメートルから1,067ミリメートル軌間へ改軌されるとともに直流600ボルトで電化された。同社は1923年2月28日に静岡電気鉄道へ改称し、その後数年をかけて、1925年4月1日の鷹匠町 - 公園前(現在の音羽町)間を皮切りに、1930年にかけて段階的に複線化が進められた。
現在の事業者は、戦時下の地方交通統合のなかで成立した。1943年5月15日、静岡電気鉄道は藤相鉄道・中遠鉄道などと合併し、現在の静岡鉄道が発足した。当時の静鉄の路線網は今日の一路線にとどまらず、合併によって海沿いを走る長大な軽便鉄道である駿遠線を構成する各社が加わり、また同社は静岡市中心部に静岡市内線という路面電車網も運営していた。1945年6月と7月の静岡・清水への空襲では沿線の施設が被災し、同年末には清水相生町から先の波止場側の区間が休止された。
戦後、路線は再編され、現在に続く姿が定まった。1946年12月、市内の路面電車区間が静岡市内線として分離される一方、鷹匠町 - 清水相生町間は鉄道として存続し、休止していた波止場への区間は1949年までに正式に廃止された。1950年3月27日には著名な出来事があり、並行する東海道本線で貨物列車が脱線した際、静鉄は自線の上り線を国鉄線につなぎ、幹線が復旧するまでの間、国鉄の列車を自線経由で走らせた。これに対して運輸大臣から表彰状が授与され、これは民間鉄道事業者として初めての受賞であったとされる。1954年10月1日には両端の駅が新静岡・新清水へ改称され、現在の駅名となった。
20世紀後半を通じて、路線は着実に近代的な通勤路線へと改良されていった。1955年には集電装置がトロリーポールからパンタグラフに変更され、1973年4月25日にはオールステンレス製の1000形電車が営業運転を開始し、1975年9月1日にワンマン運転が始まり、1979年12月には列車集中制御装置(CTC)が導入された。1986年3月25日には新駅の県立美術館前駅が開業し、このとき最高速度が65キロメートル毎時から70キロメートル毎時へ引き上げられた。1958年に従来の快速に代わって設定された急行は1996年4月1日に廃止され、全列車が普通となった。路線はまた、1974年7月の七夕豪雨では全線が約1週間にわたり不通になるなど、深刻な災害にも見舞われた。
21世紀に入っても、路線は静鉄の中核を担いつつ近代化を続けている。地域にとって意義のある新型ステンレス車であるA3000形が2016年3月24日に営業運転を開始し、順次1000形を置き換えていった。2011年に再設定されたものの新型コロナウイルス感染症の流行のなかで運休し、2021年10月に時刻表から削除されていた急行・通勤急行は、2025年3月29日のダイヤ改定で運転を再開した。今日、静岡清水線は静岡市の二つの市街地を結ぶ高頻度の日中運行を担っており、かつて鉄道と路面電車のはるかに大きな路線網を運営していた会社の、唯一存続する鉄道路線であり続けている。
年表
- 19068月21日:南安東(現・音羽町)- 入江町間の軌道敷設特許が下りる。
- 190710月11日:南安東 - 鷹匠町(現・新静岡)および入江町 - 清水受新田(波止場)の軌道敷設特許が下りる。
- 19085月18日:(旧)静岡鉄道(社長・雨宮敬次郎)が辻村(現・新清水)- 清水町間を762mm軌間・蒸気動力・貨物営業のみで開業。7月1日に旅客営業開始、12月9日には鷹匠町 - 辻村間が開業し鷹匠町 - 波止場間(7マイル50チェーン)が全通。
- 19088月:大日本軌道が(旧)静岡鉄道を合併し、同社の静岡支社となる。
- 19195月1日:路線が駿遠電気に譲渡される。
- 19208月2日:762mmから1,067mm軌間に改軌し、600Vで電化。
- 19232月28日:事業者が静岡電気鉄道に改称。
- 19254月1日:鷹匠町 - 公園前(現・音羽町)間の複線化に着手。複線化は1930年にかけて進む。
- 19435月15日:静岡電気鉄道が藤相鉄道・中遠鉄道などと合併し、現在の静岡鉄道(静鉄)が発足。
- 19456月20日の静岡大空襲・7月6日の清水への空襲で沿線施設が被災。12月1日に清水相生町から先の波止場側区間を休止。
- 194612月27日:安西 - 鷹匠町間を静岡市内線として分離し、鷹匠町 - 清水相生町間を鉄道線として存続。
- 19503月27日:並行する東海道本線で貨物列車が脱線。静鉄は自線の上り線を国鉄線につなぎ国鉄列車を自線経由で走らせ、後に運輸大臣から表彰状を授与される(民間鉄道事業者として初の受賞とされる)。
- 195410月1日:鷹匠町駅を新静岡駅に、清水相生町駅を新清水駅に改称(現在の両端駅)。
- 19734月25日:オールステンレス製の1000形電車が営業運転を開始。
- 19747月7日:七夕豪雨による土砂災害で全線不通となり、15日に全線復旧。
- 19759月1日:ワンマン運転を開始。
- 197912月:列車集中制御装置(CTC)化。
- 19863月25日:県立美術館前駅が開業し、最高速度を65km/hから70km/hに変更。
- 19964月1日:(1958年に設定された)急行を廃止し、全列車を普通とする。
- 20163月24日:A3000形電車が営業運転を開始し、順次1000形を置き換える。
- 20253月29日:ダイヤ改定により、2021年10月に時刻表から削除されていた急行・通勤急行の運転を再開。
出典
事実確認日:2026年6月14日