歴史
この路線は国ではなく、民間の事業者によって建設された。1898年5月20日、豆相鉄道が豆相三島駅(現在の三島田町駅)と南条駅(現在の伊豆長岡駅の地)とを結んで開業した。1898年6月15日には三島町と当時の三島駅とを結ぶ短い区間が延伸され、翌年の1899年7月17日には南条から大仁(だいに)まで南へ延びて、現在の経路の大半が形づくられた。
その後、二十世紀初頭に経営は幾度か移り変わった。路線は1907年7月19日に伊豆鉄道の一部となり、同社は1912年4月1日に駿豆電気鉄道となった。同社は1916年に富士水力電気と合併し、1917年11月5日に駿豆鉄道として分離・独立した。これが、今日に至るまで路線がその名を受け継ぐ企業上の前身である。
電化は1910年代に段階的に行われた。三島町 - 大場間が1918年8月10日に電化され、1919年5月には軌道線との直通運転が始まり、1919年6月までに全線が電化された。続いて南側の終点が1924年8月1日に大仁から修善寺まで延伸され、駿豆線は現在の三島 - 修善寺間の形となった。連絡する国有鉄道を介した東京への直通運転は、早くも1933年に季節運転として始まっている。
現在の運営会社は第二次世界大戦後に成立した。1957年6月1日、駿豆鉄道は伊豆箱根鉄道へと改組され、これが今日この路線を運営する会社である。伊豆箱根鉄道は西武グループの一員で、西武鉄道を親会社とし、その企業上の源流は1893年設立の豆相鉄道(ずそうてつどう)にまでさかのぼる。新会社のもとで路線は近代化され、給電電圧は1959年9月7日に600ボルトから1,500ボルトへ昇圧され、自動閉塞信号は1967年までに三島 - 修善寺間の全線に拡大され、すべての貨物営業は1972年6月16日に廃止された。
駿豆線を象徴する列車は1980年代に始まった。JRの特急「踊り子」が1981年10月1日に運転を開始し、東京から東海道本線を経て駿豆線へ直通し修善寺を終点として走るもので、現在も同線の看板列車であり続けている。2021年3月13日からは踊り子はE257系車両に置き換えられ、駿豆線区間には専用の運賃体系が設定された。鉄道はまた同じ時期に自社車両も導入し、3000系が1979年から、7000系が1991年から運用に入った。
今日、駿豆線は伊豆半島中部の公共交通の主軸として機能し、三島での東海道新幹線・JRとの乗換点を、伊豆長岡や修善寺周辺の温泉保養地と結んでいる。普通列車は首都圏からの直通特急「踊り子」によって補完され、路線は近代化を続けており、2009年からは普通列車でワンマン運転を導入し、2024年12月には全駅で非接触のタッチ決済を開始した。
年表
- 18985月20日:豆相鉄道が、豆相三島駅(現・三島田町駅)と南条駅(現・伊豆長岡駅)とを結んで路線を開業。
- 18997月17日:南条から大仁(だいに)まで南へ延伸。
- 19077月19日:路線が伊豆鉄道の一部となる。
- 19124月1日:事業者が駿豆電気鉄道となる。
- 191711月5日:1916年の富士水力電気との合併を経て、駿豆鉄道として分離・独立する。
- 19188月10日:三島町 - 大場間が電化される。
- 19196月までに全線が電化される。5月には軌道線との直通運転が始まる。
- 19248月1日:南側の終点が大仁から修善寺まで延伸され、現在の三島 - 修善寺間の形となる。
- 19335月6日:東京からの季節直通列車が週末に運転を開始。
- 19576月1日:駿豆鉄道が、西武グループの一員(親会社は西武鉄道)である伊豆箱根鉄道へと改組され、現在も同線を運営している。
- 19599月7日:給電電圧が600ボルトから1,500ボルトへ昇圧される。
- 1967三島 - 修善寺間の全線で自動閉塞信号が完成(3月25日)。
- 19726月16日:すべての貨物営業が廃止される。
- 198110月1日:特急「踊り子」が運転を開始し、東京から東海道本線を経て修善寺まで直通する。
- 20213月13日:踊り子がE257系に置き換えられ、駿豆線区間に専用の運賃体系が設定される。
- 202412月18日:全駅でカード・スマートフォンによる非接触のタッチ決済を開始。
出典
事実確認日:2026年6月14日