歴史
この路線の起こりは一畑の事業拡張にある。同社は一畑薬師への参詣客輸送のために最初の路線(現在の北松江線)を開業しており、さらに出雲大社方面へ路線網を延ばすことが1923年(大正12年)の株主総会で決定された。当初は北松江線の武志駅から南下して出雲大社に至るルートが計画されていたが、その経路では国鉄大社線と競合することから、現在の川跡駅からのルートが採用された。
1926年(大正15年)10月9日、簸川郡川跡村 - 同郡大社町間の鉄道免許状が下付された。路線は1930年(昭和5年)2月2日に、川跡駅から当時の大社神門駅(現在の出雲大社前駅)までが開業した。非電化路線として始まった北松江線とは異なり、大社線は開通当初から電化路線であった。
戦後にかけて運行設備の近代化が進められた。1966年(昭和41年)10月1日にはCTC(列車集中制御装置)の使用が開始された。1970年(昭和45年)10月1日には終点の大社神門駅が出雲大社前駅に改称され、1977年(昭和52年)6月24日には途中の鑓ヶ崎駅が浜山公園北口駅に改称された。1978年(昭和53年)3月16日にはワンマン運転が開始され、その後はワンマン対応改造された旧型のデハ1形が大社線専用車両として運用に就き、一畑電車で定期運用に就く最後の旧型車両となったが、それも1998年(平成10年)に終わった。
この路線の重要性が高まったのは、自路線ではなく国鉄・JRの動きによってであった。1990年(平成2年)に西日本旅客鉄道(JR西日本)が自社の大社線を廃止すると、一畑電車の大社線は出雲大社に達する唯一の鉄道路線となった。両線は60年にわたり大社地区へ並行して乗り入れており——まさに1923年の経路決定が避けようとした競合であった——1990年以降はこの輸送を一畑の大社線が一手に担うこととなった。
2006年(平成18年)4月1日、一畑グループは持株会社制へ移行し、新設された一畑電車株式会社が大社線を含む鉄道事業を承継した。現在は、線内で折り返して川跡駅で北松江線の列車に接続する区間運転が中心で、一部の列車は北松江線に直通して松江しんじ湖温泉方面へ向かう。運転本数はおおむね1時間あたり1 - 2本で、休日は出雲大社への参拝客輸送のため直通列車が中心となる。
運行形態は一連のダイヤ改正によって変化してきた。2013年(平成25年)4月1日の6年半ぶりの改正では休日の特急が新設され、普通列車の運転系統が変更された。さらに2017年(平成29年)4月1日と2021年(令和3年)10月1日にも改正が行われた。2024年(令和6年)4月1日の改正では休日の直通列車の運行形態が変更され、2025年(令和7年)4月1日の改正では松江しんじ湖温泉駅 - 出雲大社前駅間に日中の急行が新設される一方、大社線内における特急の運転が取り止められた。同年7月1日からはこの急行に「出雲大社号」の愛称が付き、ヘッドマークを掲出して運行している。
年表
- 1923出雲大社方面への路線延伸が一畑の株主総会で決定。後に、国鉄大社線との競合を避けるため、武志からの分岐案ではなく川跡からのルートが採用される。
- 192610月9日:簸川郡川跡村 - 同郡大社町間の鉄道免許状が下付される。
- 19302月2日:川跡駅 - 大社神門駅(現・出雲大社前駅)間が開業。開通当初から電化路線であった。
- 196610月1日:CTC(列車集中制御装置)の使用を開始。
- 197010月1日:大社神門駅を出雲大社前駅に改称。
- 19776月24日:鑓ヶ崎駅を浜山公園北口駅に改称。
- 19783月16日:ワンマン運転を開始。
- 1990西日本旅客鉄道(JR西日本)が自社の大社線を廃止。これにより一畑電車の大社線が出雲大社に達する唯一の鉄道路線となる。
- 1998大社線専用で運用されていた旧型のデハ1形(一畑電車で定期運用に就く最後の旧型車両)が定期運用を終える。
- 20064月1日:一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が大社線を含む鉄道事業を承継。
- 20134月1日:6年半振りのダイヤ改正で休日の特急を新設し、普通の運転系統などを変更。
- 20174月1日:7000系増備に伴うダイヤ改正で、特急・急行「出雲大社号」を削減し、急行の停車パターンを変更。
- 202110月1日:ダイヤ改正で一部列車を増発し、当時の急行「出雲大社号」を運転取り止め、最終列車を繰り上げ。
- 20244月1日:ダイヤ改正で休日日中の北松江線直通列車の運行形態を変更し、特急を削減。
- 20254月1日:ダイヤ改正で松江しんじ湖温泉駅 - 出雲大社前駅間の急行を新設し、大社線内の特急運転を取り止め。7月1日からこの急行に「出雲大社号」の愛称が付く。
出典
事実確認日:2026年6月14日