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高尾線

Keiō Takao Line

高尾線(たかおせん)は、京王電鉄が運営する営業キロ8.6キロメートルの鉄道路線で、全線が東京都西部の郊外、八王子市内を走行する。北野駅で京王線から分岐し、7つの駅を経て、日本でも有数の登山客数を誇る高尾山への玄関口である高尾山口駅まで南西へ進む。軌間は1,372ミリメートルで直流1,500ボルトで電化されており、北野 - 高尾間は複線、その先の高尾山口までは単線で、京王電鉄の営業路線において唯一、複線と単線の切り替え区間を有する路線である。行楽路線であると同時に、北野 - 高尾間では沿線の住宅街を結ぶ通勤路線でもあり、ほとんどの列車は京王線に直通して新宿駅まで運転される。

東京八王子市2 km
高尾線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線の実質的な起源は、京王の古い支線である御陵線にある。御陵線は、関東地方で最初の皇室墓地である多摩御陵(武蔵陵墓地)への参拝路線として建設された。路線免許は1927年12月13日に下付されたが、当初は八王子市明神町付近からのルートであった。市街地が路線で分断されるとして八王子の町議会が反対し、用地買収も進まなかったため、1930年5月に北野駅から分岐する経路へと計画が変更された。御陵線は、直流600ボルトで電化された6.3キロメートルの支線として、1931年3月20日に北野 - 御陵前(後の多摩御陵前)間で開業し、終点は大正天皇の陵墓への玄関口となった。

御陵線は単線で行き違い設備を備え、輸送量は少なかった。運営者であった京王電気軌道は、1944年に東京急行電鉄(戦時下の大合併による「大東急」、現在の東急)に合併された。第二次世界大戦末期の1945年1月21日、新たな運営者はこの御陵線の北野 - 多摩御陵前間を不要不急線として休止し、その線路は戦時の金属供出に充てられた。1948年に現在の京王電鉄の直接の前身である京王帝都電鉄が設立されると、同社は休止中の御陵線を含む旧京王の事業を引き継ぎ、その線路敷を社有地として保有し続けた。

戦後の数十年で八王子市は、1956年の首都圏整備法にも後押しされ、工業都市・住宅地として急速に発展し、御陵線当時は人口の少なかった市の南西部も住宅や移転してきた各種学校で埋まっていった。1962年9月から京王は、再び独立した会社として、休止期限が迫る御陵線の活用方法を検討し始めた。同社は三つの好機を見いだしていた。すなわち、北野・片倉付近の発展する郊外からの通勤需要、狭間付近の工業地区、そして何よりも、当時は国鉄高尾駅からバスでしか行けなかった人気の行楽地・高尾山である。そこで京王は、御陵線の北野 - 山田間を改修・複線化して新たな「高尾線」として復活させ、山田から高尾山口までは全く新しい線路を敷設し、さらに途中駅のめじろ台に自社の住宅団地を開発することを決めた。

建設は急ピッチで進んだ。山田 - 高尾山口間の延伸免許は1963年3月に申請され、1964年6月17日に認可された。工事は1965年2月に施工が認可され、同年9月に測量が始まり、1966年1月には高尾山口駅の予定地で起工式が行われた。1967年9月5日に5000系6両編成による試運転を行ったのち、高尾線は1967年10月1日に開業した。着工からわずか1年9か月で、当初予定の11月から行楽シーズンに合わせて前倒しされたものであった。旧御陵線の北野 - 山田間が新線の一部として復活し、片倉駅は京王片倉駅に改称され、休日のみ運行の行楽特急「高尾」号が走り始めた。

新線の列車は着実に拡充されていった。1968年1月1日からは、高尾山薬王院の迎光祭に合わせて特急「迎光号」が運行され、以降は毎年の恒例となり、1968年12月28日には高尾 - 高尾山口間で自動列車停止装置(ATS)の使用が始まった。利用客の増加に伴って編成も長くなり、各駅停車は1972年に3両、1984年に6両へと増結され、急行系の列車は1992年末までに10両編成となった。1974年7月には、路線名が「京王高尾線」から単に「高尾線」へと改められた。

21世紀に入ると、路線の種別や設備は度々見直された。2001年3月27日には準特急が新設され、2011年10月2日には信号設備が自動列車制御装置(ATC)へと更新され、2022年3月のダイヤ改正では準特急が特急に統合されて廃止された。また、当線は自然災害にも見舞われている。2008年8月の豪雨では高尾山口 - 高尾間で土砂崩れが発生して各駅停車の1両が脱線したが、負傷者はなく2日後に復旧し、2019年10月12日には令和元年東日本台風(台風19号)によりめじろ台 - 狭間間で土砂が流入して全線が運転を見合わせ、2日後に運転を再開した。2025年3月15日のダイヤ改正では、高尾山口発着の座席指定列車「京王ライナー」が定期列車として新設され、高尾山への通勤・行楽路線としての歩みに新たな一歩が加えられた。

年表

  • 192712月13日:高尾線の実質的な起源である参拝路線・御陵線の鉄道免許状が下付される。
  • 19305月:当初の経路への反対を受け、北野駅で分岐する路線変更が認可される。
  • 19313月20日:京王電気軌道が、直流600Vで電化された6.3kmの支線・御陵線を北野 - 御陵前(後の多摩御陵前)間で開業。大正天皇の陵墓への参拝路線であった。
  • 19451月21日:第二次世界大戦末期、御陵線(北野 - 多摩御陵前間)が不要不急線として休止され、線路は金属供出に充てられる。運営者は1944年に東京急行電鉄(現在の東急)に合併されていた。
  • 1948京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)が設立され、休止中の御陵線を含む旧来の事業を引き継ぐ。
  • 19646月17日:新線となる山田 - 高尾山口間の免許が認可される。11月26日には御陵線の山田 - 多摩御陵前間が正式に廃止される。
  • 196710月1日:1966年1月の高尾山口駅予定地での起工式を経て、高尾線が開業(山田 - 高尾山口間を新設、北野 - 山田間を御陵線から復活)。片倉駅を京王片倉駅に改称し、休日のハイキング特急「高尾」号が運転を開始する。
  • 19681月1日:高尾山薬王院の迎光祭に合わせ特急「迎光号」が運行を開始。12月28日には高尾 - 高尾山口間でATS(自動列車停止装置)の使用が始まる。
  • 19747月:路線名が「京王高尾線」から「高尾線」に変更される。
  • 199212月23日:当線の急行系列車がすべて10両編成化される。
  • 20013月27日:準特急の運転が開始される。
  • 20088月28日:豪雨により高尾山口 - 高尾間で土砂崩れが発生し、各駅停車の1両が脱線。負傷者はなく、8月30日に全線復旧する。
  • 201110月2日:当線で自動列車制御装置(ATC)の使用が開始される。
  • 201910月12日:令和元年東日本台風(台風19号)により全線で運転を見合わせ、めじろ台 - 狭間間で土砂が流入。10月14日に運転を再開する。
  • 20223月12日:ダイヤ改正で準特急が特急に統合され、準特急が廃止される。
  • 20253月15日:ダイヤ改正で、高尾山口発着の座席指定列車「京王ライナー」が定期列車として新設される。

出典