歴史
この路線は市営地下鉄を運営する大阪市交通局によって建設・運営され、16年にわたって段階的に開業した。最初の区間は東梅田 - 谷町四丁目間で、1967年3月24日に開業した。延長3.5キロメートルで、当初は2両編成で運転され、開業時から自動列車制御装置(ATC)と列車集中制御装置(CTC)を備えていた。開業からの数か月間には、自動列車運転装置(ATO)の基礎試験も行われ、谷町四丁目 - 東梅田間の北行線で毎晩の終電後に実施された。
その後、路線は南へと延びた。1968年12月17日には谷町四丁目 - 天王寺間(3.8キロメートル)が開業して4両編成運転が始まり、天王寺検車場が開設された。この時点では路線はまだ番号でのみ呼ばれており、「谷町線」という愛称が正式に決まったのは1969年12月6日のことである。延伸計画の工事は、1970年4月8日に天神橋筋六丁目付近の延伸工事現場で発生したガス爆発事故(天六ガス爆発事故)によって暗い影を落とされた。この事故は大規模な火災を引き起こし、日本の地下鉄建設史上でも最悪級の事故となった。
続いて路線の北側が開業した。1974年5月29日に都島 - 東梅田間(3.1キロメートル)が開業し、1977年4月6日には都島から守口まで(5.4キロメートル)延伸された。この時点で路線は2つの重複する系統で運転されるようになり、新設の大日検車場が車両の留置を担うようになった。輸送需要の増加に合わせて編成も長くなり、1976年10月には6両編成運転が始まった。
南端は1980年に完成した。1980年11月27日に天王寺 - 八尾南間が開業した。延長10.5キロメートルはこの路線の歴史上最長の一括延伸であり、列車を八尾の南部郊外まで運び、新設の八尾検車場が使用を開始した。路線の大半がこれで出そろい、北端のわずかな区間を残すのみで、谷町線はほぼ現在の姿を整えた。
その最後の区間は1983年2月8日に開業した。大日検車場への入出庫線を営業線化して大日 - 守口間(1.8キロメートル)が開業し、大日から八尾南まで全線が開通したのである。全線での直通運転が始まると、中心部および外縁部の運転間隔が短縮された。その後の数十年で路線は着実に近代化され、1989年からは新型車両が投入され、1997年の駅名改称ではいくつかの駅名が改められ、2003年には平日朝に女性専用車両が導入された。
最も大きな制度上の変化は2018年4月1日に訪れた。大阪市営地下鉄が民営化され、谷町線は路線網全体とともに、大阪市交通局から新会社である大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)へと移管されたのである。新たな運営者のもとでも近代化は続いており、可動式ホーム柵が路線全体で順次設置され、2025年には新型の30000A系電車が運転を開始した。路線の日中の運転間隔は6分に短縮されている。
年表
- 19673月24日:最初の区間である東梅田 - 谷町四丁目間(3.5km)が開業。2両編成、ATC・列車集中制御装置(CTC)を採用。
- 196812月17日:谷町四丁目 - 天王寺間(3.8km)が開業。4両編成運転を開始し、天王寺検車場が開設。
- 196912月6日:愛称が「谷町線」に決まる(それまでは号線番号で呼ばれていた)。
- 19704月8日:天神橋筋六丁目付近の延伸工事現場でガス爆発事故(天六ガス爆発事故)が発生し、大規模な火災となる。
- 19745月29日:都島 - 東梅田間(3.1km)が開業。
- 197610月:6両編成運転を開始(10月25日開始、10月31日完了)。
- 19774月6日:守口 - 都島間(5.4km)が開業。大日検車場が開設され車両が移管、2系統運転となる。
- 198011月27日:天王寺 - 八尾南間(10.5km)が開業。同線最長の一括延伸で、八尾検車場が開設。
- 19832月8日:大日 - 守口間(1.8km)が開業し、大日 - 八尾南間が全通。中心部・外縁部の運転間隔を短縮。
- 19895月17日:20系電車(2代目)を投入。
- 19978月29日:関目駅を関目高殿駅に、四天王寺前駅を四天王寺前夕陽ヶ丘駅に改称。
- 200312月15日:平日ダイヤの始発から9時まで女性専用車両を導入。
- 20184月1日:大阪市営地下鉄の民営化により、大阪市交通局から大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の路線となる。
- 20202月1日:東梅田駅で谷町線初の可動式ホーム柵の運用を開始。3月14日には日中の運転間隔を6分に短縮。
- 202510月24日:30000A系電車が谷町線で運転を開始。
出典
事実確認日:2026年6月14日