歴史
この路線は鹿児島の市電路線のなかで最も古い。鹿児島で最初に開業した電車の路線は鹿児島電気軌道の谷山線であるが、路面電車でありながら法規上は軌道法ではなく軽便鉄道法に基づいて建設・免許された。これは連結運転(複数車両の運転)を可能にするためであったといわれる。鹿児島 - 谷山間の軽便鉄道免許状は1911年8月3日に下付され、1912年6月5日に建設工事に着工、1912年12月1日に武之橋 - 谷山間が開業した。開業時には木製単車7両が用意され、1913年以降は電動貨車が加わって手小荷物や鮮魚の運搬に使われた。
開業初期には、他の路線の建設資材を捻出するために多くの区間が単線化された。二軒茶屋 - 谷山間は1915年9月15日に、鴨池 - 二軒茶屋間は1917年5月16日に単線への変更が認可され、撤去された軌条や枕木は新線の建設に転用された。これらの区間が複線に戻るのは戦後のことである。
鹿児島市は1920年代後半にこの軌道を公営化した。鹿児島電気軌道は、同年5月25日の譲渡許可を経て、1928年7月1日に新設された鹿児島市電気局へ移管され、その後、法規上の地位が軽便鉄道から軌道法に基づく軌道へと変更され、1928年12月28日に認可された。公営の運営主体はその後たびたび改組され、1933年に鹿児島市交通課、1944年に鹿児島市交通部、そして1952年10月1日に現在の名称である鹿児島市交通局となった。
第二次世界大戦は運行を中断させた。1945年6月17日の空襲により当線は運休となり、同年6月29日に運行を再開した。複線への復旧は戦後に段階的に進められ、鴨池 - 二軒茶屋間が1947年12月、二軒茶屋 - 脇田間が1948年2月に竣工し、1949年12月29日に谷山線全線で複線が復活した。
1950年代後半からは、軌道が順次引き下げられて改築された。開業時の武之橋 - 谷山間は全線が専用軌道であったが、1959年度から道床を道路と同じ高さまで下げる工事が進められ、中央部に軌道が設けられた。1960年代前半にかけては、新たな道路や橋の完成に伴って併用軌道区間が拡大していった。なお、市への移管前には、鉄道省が涙橋 - 谷山間の軽便線を指宿線(当時)の建設のために買収するという話もあったが、頻発する市電の交通機能が衰退することを恐れた市議会が反対し、代わりに西側へ並行する新線が建設された。その新線上には1944年に新駅(南鹿児島駅)が開設された。谷山線では1979年に宇宿一丁目停留場が新設された。
近年、この路線は芝生による緑化軌道で知られるようになった。市は停留場内の軌道に芝を植えることから緑化を始め、その後軌道敷を芝生でより広く緑化して夜間にはライトアップを行うようになり、2018年時点で涙橋 - 谷山間の専用軌道区間を除いて緑化が完了している。鹿児島市電全体としても、2002年以降に超低床電車が導入されている。2019年7月3日には、大雨の影響で南鹿児島駅前付近において崖崩れが発生し、郡元 - 谷山間が運休となったが、翌日に運転を再開した。
年表
- 19118月3日:鹿児島 - 谷山間の軽便鉄道免許状が下付される。
- 191212月1日:鹿児島電気軌道が武之橋 - 谷山間を、鹿児島で最初の電車の路線として開業。6月5日に着工、11月23日に武之橋 - 谷山村間が竣工していた。
- 19159月15日:二軒茶屋 - 谷山間の単線変更が認可され、撤去された軌条・枕木は新線建設に転用される。
- 19175月16日:鴨池 - 二軒茶屋間の単線変更が認可される。
- 19287月1日:鹿児島電気軌道が鹿児島市電気局に移管される(5月25日譲渡許可)。12月28日に軽便鉄道から軌道への変更が認可される。
- 19456月17日:空襲により当線が運休。6月29日に運行を再開する。
- 194912月29日:脇田 - 谷山間の複線化が竣工し、谷山線全線で複線が復活する(1947年の鴨池 - 二軒茶屋間、1948年の二軒茶屋 - 脇田間の工事を経て)。
- 195210月1日:運営主体が鹿児島市交通局に改組される(1933年の交通課、1944年の交通部を経て)。
- 19601959年度に始まった軌道基面降下工事に伴い、武之橋 - 荒田八幡間で軌道が移設される(下り2月28日、上り3月1日)。併用軌道化が進められる。
- 1979宇宿一丁目停留場が新設される。
- 20021月15日:谷山線を含む鹿児島市電において超低床電車(ユートラム)の運行が始まる。
- 2018涙橋 - 谷山間の専用軌道区間を除き、軌道敷の芝生による緑化が完了する。
- 20197月3日:大雨の影響で南鹿児島駅前付近で崖崩れが発生し、郡元 - 谷山間が運休。翌4日17時より運転を再開する。
出典
事実確認日:2026年6月14日