歴史
この路線は、立山開発鉄道が千丈ケ原 - 美女平間に地方鉄道を敷設しようとした計画から生まれた。敷設免許の申請は1952年8月に運輸審議会へ諮問され、同年8月22日に同審議会が免許することが適当であると答申した。建設は1952年12月8日に着工された。ケーブルカーは当初1954年8月1日の営業開始を予定していたが、レールの敷設高さや線路導滑車の仕様が設計と異なったことで脱索が発生したため対策を行い、8月10日に竣工検査をパスして、8月13日付で営業運転開始の認可を得た。
こうして路線は1954年8月13日、立山開発鉄道によって千寿ヶ原 - 美女平間で開業した。上部の起点である千寿ヶ原駅は、その直後の1954年10月24日に竣工している。開業当初からケーブルカーは旅客だけでなく貨物も運ぶ役割を担っており、立山側では客車の下に貨車を連結して運行することが多く、立山駅へ降りる側の列車では車掌がその貨車の下端に設けられた乗務員室に乗務した。
この貨物輸送の役割は、開業直後にさっそく劇的な形で活かされた。1955年7月1日、立山開発鉄道は美女平からさらに山上の弘法との間で立山高原バスの運行を開始したが、当時は谷底から美女平へ至る道路がまだなかったため、バス自体をケーブルカーの貨車に載せて美女平まで運び上げた。その際、狭いトンネルを通すためにバスのタイヤの空気を抜いたという。桂台から美女平への道路が完成したのは1970年のことであった。
アルペンルートの発展とともに、ケーブルカーには貴賓も乗車した。1969年5月28日には、第20回全国植樹祭に合わせて富山県を訪れた昭和天皇と香淳皇后が同線に乗車している。1970年7月1日には、それまで千寿ヶ原駅と称していた下部の起点が立山駅に改称され、現在の駅名となった。
車両と経営は2000年代に変化した。2代目車両は2003年4月10日に運行を開始した。そして2005年10月1日、運営していた立山開発鉄道が立山黒部貫光に合併され、ケーブルカーは同社の路線となった。これにより同社は、いずれも正式名称を鋼索線とする二つのケーブルカーを保有することとなった。2022年5月3日には、並行する立山有料道路が落石で通行止めとなって交通が流入し、最大3時間待ちの行列が生じた。
ケーブルカーの設備の老朽化を受けて、2018年から立山 - 美女平間をロープウェイで結び替える構想が検討された。しかしこの構想は最終的に見送られ、2025年5月30日、立山黒部貫光は新ロープウェイ構想を断念し、現状のケーブルカーの設備を更新する方針を発表した。同線は現在も所要時間7分、乗車時間指定制で、通常は20分間隔で運行され、毎年12月1日から3月31日までの冬期は運休している。
年表
- 19528月22日:運輸審議会が、立山開発鉄道による千丈ケ原 - 美女平間の地方鉄道敷設について、免許することが適当であると答申。
- 195212月8日:ケーブルカーの建設に着工。
- 19548月13日:立山開発鉄道により千寿ヶ原 - 美女平間が開業。8月1日開業予定だったが脱索の問題で延期となり、8月10日に竣工検査をパスした。
- 195410月24日:上部の起点である千寿ヶ原駅(後の立山駅)が竣工。
- 19557月1日:美女平 - 弘法間で立山高原バスの営業開始。美女平への道路がなく、バスはケーブルカーの貨車で運び上げられ、狭いトンネルを通すためタイヤの空気を抜いた。
- 19695月28日:第20回全国植樹祭に合わせ富山県を訪れた昭和天皇・香淳皇后がケーブルカーに乗車。
- 19707月1日:千寿ヶ原駅を立山駅に改称。
- 20034月10日:2代目車両が運行を開始。
- 200510月1日:立山開発鉄道が立山黒部貫光に合併され、立山黒部貫光の路線となる。
- 20225月3日:並行する立山有料道路が落石で通行止めとなった影響で、最大3時間待ちとなる。
- 20255月30日:立山黒部貫光が、2018年から検討してきた当区間をロープウェイで結ぶ構想を断念し、現状のケーブルカー設備を更新すると発表。
出典
事実確認日:2026年6月15日