歴史
現在の路線は、両端から別々に建設された二つの軽便鉄道を継ぎ合わせたものである。盛岡側ではまず橋場軽便線が、1921年6月25日に盛岡 - 雫石間で開業し、1922年7月15日に橋場まで延伸された。大曲側では生保内軽便線が、1921年7月30日に大曲 - 角館間で開業した。1922年9月2日には、両線はそれぞれ橋場線・生保内線と改称された。
その後、両線は山岳部を通じて少しずつ互いに近づいていった。生保内側は1921年12月に神代へ、1923年8月に生保内(後の田沢湖)へと達し、橋場側は1964年9月に雫石 - 赤渕間の区間を得た。一方、雫石より先の橋場方面は使われなくなっており、雫石 - 橋場間は1944年に休止されて、再開されることはなかった。
直通ルートが完成したのは1966年10月20日のことで、奥羽山脈を貫く全長3,915メートルの仙岩トンネルの完成に伴い、赤渕 - 田沢湖間18.1キロメートルが開業した。同日、生保内線が編入され、統合された路線は田沢湖線と改称された。生保内駅自体は、その3週間前の1966年10月1日に田沢湖駅と改称されていた。
日本国有鉄道の下で、路線はその後の数十年で近代化された。気動車運転は1961年に始まり、蒸気機関車による運転は1966年の全通とともに終了した。貨物営業は1982年4月1日に廃止され、1982年11月15日には全線が交流20,000ボルト50ヘルツで電化された。1987年4月1日の国鉄分割民営化により、田沢湖線は新たに発足した東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。
路線の性格は、秋田新幹線計画によって一変した。1996年3月30日、改軌工事のため全線が休止されてバス代行に切り替えられ、1997年3月22日に1,067ミリメートルの狭軌から1,435ミリメートルの標準軌へ改軌されて営業を再開した。同日、標準軌の特急「こまち」が東京からの直通運転を開始し、大曲でスイッチバックして方向を変え、奥羽本線を経由して秋田へ至る方式が採られた。路線の普通列車は標準軌の電車に置き換えられ、多くはワンマン運転となった。
改軌以降、田沢湖線は普通列車とともに頻繁なこまちの運行を担っている。2023年3月18日には盛岡 - 大釜間に前潟駅が開業し、2023年5月27日には盛岡 - 雫石間でICカード(Suica)の利用が始まって、路線の駅数は18となった。
年表
- 19216月25日:盛岡側で橋場軽便線が盛岡 - 雫石間(16.0km)を開業。
- 19217月30日:大曲側で生保内軽便線が大曲 - 角館間(16.8km)を開業。12月11日に神代まで延伸。
- 19229月2日:両線が橋場線・生保内線に改称。橋場側は7月15日に橋場まで延伸。
- 19238月31日:生保内線が神代 - 生保内(後の田沢湖)間12.7kmを延伸開業。
- 194410月1日:雫石 - 橋場間(7.7km)が休止され、以後再開されなかった。
- 19617月1日:気動車運転を開始。
- 19649月10日:雫石 - 赤渕間(6.0km)が完成し、橋場線に編入開業。
- 196610月20日:仙岩トンネル(3,915m)の完成により赤渕 - 田沢湖間18.1kmが開業して全通。生保内線を編入し、全線を田沢湖線に改称。(生保内駅は10月1日に田沢湖駅へ改称済み。)
- 19824月1日:全線で貨物営業を廃止。11月15日:全線を交流50Hz・20kVで電化。
- 19874月1日:国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道(JR東日本)が承継。
- 19913月16日:全線の最高速度を95km/hから110km/hに向上。
- 19963月30日:改軌工事のため全線を休止し、バス代行を実施。
- 19973月22日:全線を1,067mmから1,435mmに改軌して営業再開。標準軌の特急「こまち」が東京から直通運転を開始(大曲でスイッチバックし、奥羽本線経由で秋田へ)、普通列車の多くはワンマン運転となる。
- 20233月18日:盛岡 - 大釜間に前潟駅が開業。5月27日:盛岡 - 雫石間でSuicaの利用を開始。
出典
事実確認日:2026年6月14日