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12号線大江戸線

Toei Ōedo Line

都営大江戸線(とえいおおえどせん)は、東京都交通局が運営する都営地下鉄のラピッドトランジット(高速鉄道)路線で、東京都が保有・運営する。路線記号は「E」で、路線図ではマゼンタ色で示され、営業キロは40.7キロメートル、駅数は38駅、軌間は1,435ミリメートルの標準軌、架空電車線方式の直流1,500ボルトで電化されている。東京の地下鉄では初めてリニアモーター推進(車上一次・鉄輪式のリニアモーター方式)を採用した路線で、これにより小型の車両を小断面のトンネルで走らせることができる。計画上の名称は「12号線」であった。単純な環状線ではなく、横倒しにした数字の「6」のような形をしており、都心部を巡る環状部と、西郊の光が丘へ延びる放射部から成る。

東京江東区練馬区中野区渋谷区豊島区板橋区5 km
12号線大江戸線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この計画の起源は、1962年6月8日の都市交通審議会答申第6号にさかのぼり、芦花公園方面から方南町・新宿・春日町・厩橋・深川・月島の各方面を経て麻布方面に至る「第9号線」として答申された。京王は、西側のルートが京王バスの重要な営業エリアを通ることから反対し、1964年3月27日、審議会は京王の主張した案を採用して、芦花公園 - 新宿間を桜上水・明大前・幡ヶ谷を経由する京王線の複々線に沿うルートへと変更した。1968年4月10日の答申第10号でそれまでの第9号線は第12号線に改められ、1972年3月の答申第15号では新宿に戻る環状線とされ、練馬区の高松(光が丘)地区への延伸が加えられた。

現在の光が丘 - 都庁前間にあたる環状部・放射部を含む全線の地方鉄道敷設免許は1974年8月に取得され、新宿線と同様の20メートル車10両編成によって1985年に全線開業することが目指された。しかし、1973年のオイルショック後の社会情勢の急変と交通局の財政悪化により、建設計画は1976年半ばから一時凍結された。1975年12月に提出された練馬 - 光が丘間の大型規格線の建設申請は審査されないまま自動的に消滅した。光が丘の旧グラントハイツ跡地を大規模住宅団地として再開発する決定により交通需要が高まり、1982年12月、東京都は12号線の建設を進めることを決定した。

光が丘 - 練馬間の建設工事は1986年6月1日に着工し、同月に路線のラインカラーがマゼンタと決められた。建設費を抑えるため、本路線は大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)の長堀鶴見緑地線に次いで日本で2番目に鉄輪式リニアモーターのミニ地下鉄を採用した。これは、改造した12-000形試作車による試験を経て、1988年12月に同方式の採用が正式に決定されたものである。最初の区間である光が丘 - 練馬間は1991年12月10日に「都営12号線」として開業し、開業当初の冬から毎年、大晦日から元日にかけての終夜運転を行っている。

その後、路線は段階的に延伸された。放射部は1997年12月19日に練馬から新宿まで延伸され、このとき全列車が6両編成から8両編成へと増強された。さらに2000年4月20日に新宿から国立競技場まで延伸され、この2000年4月の延伸の際に、東京の旧称にちなんで「大江戸」を意味する現在の「大江戸線」へと改称された。以前の路線と同様に名称は公募にかけられたが、石原慎太郎知事は、当初は完全な環状にならないこと、また山手線や大阪環状線と混同されることを理由に、当選した「東京環状線」を採用しなかった。

環状は2000年12月12日に完成し、国立競技場 - 六本木 - 都庁前間が開業して全線が開通した。開業日が選ばれたのは、本路線が「12号線」であることにちなみ、和暦で平成12年の12月12日にあたるためで、当日には都庁前駅を12時12分に発車する記念列車「大江戸線クイーン号」が運行された。汐留駅は駅周辺が再開発中でアクセス道路が未開通だったため全線開業時には見送られ、列車は信号所として使われたこの場所を通過していたが、2002年11月2日に汐留駅として開業した。全線が地下にあることから、英語版ウィキペディアは本路線を青函トンネルに次ぐ日本第2位の長さの鉄道トンネルと記している。

大江戸線は東京の地下鉄で最も深い所を走り、地上から深い駅が多く、地中では最深で約48メートルに達する地点があり、隅田川の下を3回横切る。地表からホーム面までの深さで見ると、六本木駅は都営地下鉄全駅の中で最も深く、1番線は地下42.3メートルにある。リニアモーター方式は従来の回転式モーター車と互換性がなく、小断面のトンネルと車両限界が他社車両の乗り入れを阻むため、大江戸線は他社路線との直通運転を行わない唯一の都営地下鉄路線である(E5000形機関車のみが使用できる浅草線との連絡線が唯一の例外)。都営地下鉄の中で最も多い1日あたりの利用者数を持ち、東京の中心部を貫く環状・放射の大動脈であり続けている。

年表

  • 19626月8日:都市交通審議会答申第6号で、芦花公園方面から新宿・東部各方面を経て麻布に至る地下鉄第9号線(後の12号線)が答申される。
  • 19684月10日:答申第10号で、それまでの第9号線が第12号線に変更される。
  • 19723月:答申第15号で、新宿に戻る環状線とし、練馬区の高松(光が丘)方面への延伸を加える形に変更される。
  • 19748月:現在の光が丘 - 都庁前間にあたる全線の地方鉄道敷設免許を取得。1985年の開業を目指していた。
  • 1976半ば:1973年のオイルショック後の情勢と交通局の財政悪化を背景に、12号線の建設計画が一時凍結される。
  • 198212月:光が丘の旧グラントハイツ跡地の再開発決定を受け、東京都が12号線の建設を進めることを決定する。
  • 19866月1日:光が丘 - 練馬間の建設工事に着工。同月に路線のラインカラーがマゼンタに決定される。
  • 198812月21日:12-000形試作車による試験を経て、鉄輪支持式リニアモーター方式の採用が決定される。
  • 199112月10日:最初の区間である光が丘駅 - 練馬駅間が「都営12号線」として開業する。
  • 199712月19日:練馬駅 - 新宿駅間が延伸開業。全列車が6両編成から8両編成に増強される。
  • 20004月20日:新宿駅 - 国立競技場駅間が延伸開業し、路線名を「大江戸線」に改称。石原慎太郎知事は公募で選ばれた「東京環状線」を採用しなかった。
  • 200012月12日:国立競技場 - 六本木 - 都庁前間が開業して全線が開通。本路線が「12号線」であることにちなみ、平成12年12月12日が全線開業日に選ばれた。
  • 200211月2日:全線開業時に周辺再開発のため見送られていた汐留駅が、ゆりかもめとの接続駅として開業する。
  • 2025光が丘から大泉学園町の新たな終点まで、3駅を新設して西へ延伸する計画が報じられ、2040年頃の開業が見込まれている。

出典