歴史
この路線は、20世紀初頭にまで遡る起源をもつ路面電車ネットワークに属する。富山電気軌道が1913年(大正2年)9月1日に市内初の軌道線を開業し、本線で富山駅前と共進会場前を、支線で富山駅前から総曲輪を経て西町を結んだ。1920年(大正9年)7月1日に富山市へ譲渡されて市営軌道となり、1943年(昭和18年)1月1日には現在の運営者である富山地方鉄道へ譲渡された。ネットワークは軌間1,067ミリメートル、架空電車線による直流600ボルトで電化されている。
富山中心部にはかつて独自の環状運転があった。1949年(昭和24年)12月30日に環状運転が始まり、1960年代の最盛期には路線網は約11キロメートルに及び、環状系統を含む複数の運転系統を有していた。しかしこの環状線はネットワークの縮小の中で存続できず、1973年(昭和48年)3月31日に西町・旅篭町・丸の内間の支線が廃止され、環状運転系統は消滅した。以後37年にわたって市中心部に環状の路面電車はなく、失われた丸の内―西町間の連絡こそが、のちに富山都心線が埋めることになる空白であった。
復活は意図的なLRT政策から生まれた。2008年(平成20年)2月28日、この事業は「軌道運送高度化実施計画」の全国初となる第一号認定を受けた。これは上下分離(官設民営)に基づく枠組みで、市がインフラを保有し鉄道事業者が運行を担う。この方式のもと、富山市は新たな中心連絡線を敷設して商業の中核を通る環状線を再生させることを目指し、すでに富山駅北側で転換されていた別の富山港線(LRT)と相互に補完し合う構想を描いた。
富山都心線は2009年(平成21年)12月23日に開業し、丸の内から西町に至る約0.9キロメートルの単線区間が供用を開始して環状運転が再開された。37年ぶりの環状線復活である。新区間には三つの停留場が新設され、大手モール北端に国際会議場前、同南端の越前町交差点に大手モール、平和通りの総曲輪フェリオ前にグランドプラザ前が設けられた。開業にあたっては、歩行者専用とした大手モールに環状線の新車両三編成を集結させて市民に公開した上で記念式典が行われ、「セントラム」と呼ばれる9000形電車がこの日から環状線で運行を開始した。
新たな連絡線の完成により、環状線は富山都心線を経由して一方向に運行され、富山駅からグランドプラザ前を経て富山駅へと約3.5キロメートルを反時計回りに周回する。富山都心線自体の丸の内―西町間は単線・一方通行で運転され、これはおおむね複線のネットワークの中で唯一の単線区間である。2013年(平成25年)5月17日には西町交差点の北側に中町(西町北)停留場が開業し、環状線の運転系統が調整された。
富山都心線は、富山における路面電車のより広範な再構築の一部として位置づけられる。2015年(平成27年)3月14日には富山駅を貫く南北接続線と富山駅停留場が開業し、2020年(令和2年)3月21日には市内軌道線が富山駅を介して富山港線と相互直通運転を開始し、かつて別々だった北側のLRT路線を同一の運行に組み込んだ。この大きな体系の中で、富山都心線は現代の市中心環状線を可能にしたコンパクトな中心軸であり続けている。
年表
- 19139月1日:富山電気軌道が市内初の軌道線―本線(富山駅前―共進会場前)と支線(富山駅前―総曲輪―西町)―を開業。
- 19207月1日:富山市に譲渡され、市営軌道となる。
- 19431月1日:軌道線が富山地方鉄道へ譲渡される(以後現在まで同社が運営)。
- 194912月30日:富山中心部で環状運転が開始される。
- 19733月31日:西町―旅篭町―丸の内間の支線が廃止され、環状運転系統が消滅する。
- 20082月28日:【軌道運送高度化実施計画】の全国初となる第一号認定を受ける(上下分離・官設民営方式)。
- 200912月23日:富山都心線(丸の内―西町、約0.9km、単線)が開業し、37年ぶりに環状運転が復活。三停留場(国際会議場前・大手モール・グランドプラザ前)を新設し、9000形「セントラム」が環状線で運行を開始。
- 20135月17日:西町交差点の北側に中町(西町北)停留場が開業。
- 20153月14日:富山駅を貫く南北接続線と富山駅停留場が開業。
- 20203月21日:市内軌道線が富山駅を介して富山港線と相互直通運転を開始。
出典
事実確認日:2026年6月14日