歴史
この路線は太平洋戦争を背景に生まれた。豊川海軍工廠への通勤輸送を目的に建設され、最初の区間である国府駅 - 市役所前駅(現在の諏訪町駅)間が1945年2月18日に豊川市内線として開業した。戦時中であったため、線路は休止・単線化された名鉄の他線区から転用したレールで賄われ、変電所の機器や車両も同様に既存の路線から転用された。工廠は開業からわずか数か月後の1945年8月の空襲で壊滅し、第二次世界大戦の終結後、この鉄道は東端近くにある大きな社寺、豊川稲荷への参詣客を運ぶという新たな役割を見いだした。
延伸前、名古屋・岡崎方面から豊川への連絡は、1926年に開業して伊奈駅から分岐し小坂井駅へ至る小坂井支線を経由し、小坂井駅から豊川鉄道線(現在のJR飯田線)へ直通することで果たされていた。この運行は豊川鉄道が飯田線として国有化された後も続いたが、次第に立ち行かなくなり、抜本的な輸送力の増強が必要となった。
その増強は1954年に二段階で実現した。4月1日に市役所前駅から稲荷口駅まで延伸され、12月25日には稲荷口駅から新豊川駅までの残りの区間が開通して全線がつながり、現在の路線距離となった。全通に合わせて路線は豊川線と改称され、同じ日に不要となった伊奈駅 - 小坂井駅間の小坂井支線が廃止された。新豊川駅として開業した東側の終着駅は1955年5月1日に豊川稲荷駅へ、かつての市役所前駅は諏訪町駅へと改称された。
その後の数十年で路線は着実に改良された。架線電圧は延伸に先立つ1953年12月16日に600ボルトから1,500ボルトへ昇圧され、名鉄標準の直流車両が入線できるようになった。1972年6月1日には八幡口・市田・諏訪新道の三つの小さな駅が廃止されて新設の八幡駅に統合され、これ以降は線内の全駅が6両編成の停車できるホームを備えるようになった。1982年12月には閉塞方式がスタフ閉塞から自動閉塞へと改められ、国府駅を管理駅とする列車集中制御装置(CTC)が導入されて、行き違い駅での交換が左側通行に変更された。
世紀の変わり目には、路線の姿をさらに変える工事が行われた。八幡駅付近は高架化され、その工事は1996年12月14日に完成し、同時に国府駅 - 八幡駅間の線内最高速度が85キロメートル毎時へ引き上げられた。岐阜地区に残っていた名鉄の軌道線である岐阜市内線・美濃町線・田神線が2005年3月31日限りですべて廃止されると、豊川線は名鉄の路線網で軌道法に基づいて運行される唯一の路線となった。2011年3月26日からは、線内のみを走る普通列車がワンマン運転化された。
現在の豊川線は多様な列車を走らせている。線内の列車は国府駅と豊川稲荷駅の間を折り返し運転するほか、利用の多い時間帯には快速特急・特急・急行・準急が名古屋本線へ直通して名古屋方面へと向かう。これら優等列車はいずれも線内の各駅に停車し、2023年3月18日のダイヤ改正以降は各駅が標準停車駅となった。日常の利用の多くは名古屋中心部への長距離通勤であるが、最もよく知られた役割は今なお豊川稲荷への参詣客輸送であり、とりわけ年末年始は今も多くの人で混雑する。
年表
- 19452月18日:豊川海軍工廠への通勤輸送のため、国府駅 - 市役所前駅(現・諏訪町駅)間が豊川市内線として開業。
- 195312月16日:架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧。国府駅 - 八幡口駅間の白鳥駅を廃止。
- 19544月1日:市役所前駅 - 稲荷口駅間が開業。
- 195412月25日:稲荷口駅 - 新豊川駅(現・豊川稲荷駅)間が開業して全通。豊川線に改称し、不要となった伊奈駅 - 小坂井駅間の小坂井支線を同日廃止。
- 19555月1日:新豊川駅を豊川稲荷駅に改称(市役所前駅は1月20日に諏訪町駅へ改称済み)。
- 19726月1日:八幡口駅・市田駅・諏訪新道駅を廃止し、新設の八幡駅に統合。線内の全駅が6両編成停車可能となる。
- 198212月15日:閉塞方式をスタフ閉塞から自動閉塞に変更。国府駅を管理駅とするCTCを導入し、駅・信号場の列車交換を左側通行に変更。
- 199612月14日:八幡駅付近の高架化が完成。国府駅 - 八幡駅間の区間最高速度を85km/hに向上。
- 20053月31日:名鉄の岐阜地区の軌道線(岐阜市内線・美濃町線・田神線)廃止により、豊川線が名鉄唯一の軌道線となる。
- 20113月26日:線内運転の普通列車がワンマン運転化される。
- 20233月18日:線内の各駅が特急および快速特急の標準停車駅となる。
出典
事実確認日:2026年6月14日