歴史
山岳鉄道の計画は1920年代初頭に具体化した。1922年(大正11年)11月16日、この路線を建設することになる筑波登山鉄道に対して鉄道免許状が下付された。会社は翌春に改組され、1923年(大正12年)4月14日に筑波山鋼索鉄道が設立され、同年4月18日には筑波登山鉄道から筑波山鋼索鉄道への社名変更が届け出られた。筑波山の急斜面を登る建設工事を経て、ケーブルカーは1925年(大正14年)10月12日に営業を開始した。
この路線は、日本のケーブルカーの中でも急峻な山岳区間の一つに対応して建設されている。1.634キロメートルの区間で高低差495メートルを克服し、最急勾配は358パーミルに達する。運転は単線の釣瓶式で行われ、2両の車両が索条で結ばれ、降る車両が昇る車両を引き上げるのを助ける方式である。車両の最高時速は約12キロメートル(毎秒3.5メートル)で、宮脇駅から山頂駅までの所要時間はおよそ8分である。
営業は第二次世界大戦によって中断された。1944年(昭和19年)2月11日、当線は戦時下の不要不急線の方針により廃止された。これは戦争遂行に不可欠でないと判断された路線が休廃止され、レールをはじめとする資材がより優先度の高い用途へ転用された施策である。ケーブルカーは終戦までと戦後数年間にわたって運休したままとなり、筑波山は10年以上にわたって山岳鉄道を失うこととなった。
復興は1950年代に訪れた。1952年(昭和27年)8月28日、筑波山鋼索鉄道に地方鉄道免許が下付され、路線再建への道が開かれ、1954年(昭和29年)11月3日に営業が再開された。ケーブルカーが再び動き出したことで、古くから親しまれてきたこの山の山頂付近の神社や展望地へ、再び参詣客や観光客を運ぶようになった。
再開後の数十年間にはいくつかの出来事があった。1985年(昭和60年)4月26日、昭和天皇が近隣で開催された国際科学技術博覧会(科学万博)を視察した後、筑波山に行啓した。1995年(平成7年)1月17日には車両更新のため一時営業を休止し、同年3月1日に3代目の車両で営業を再開した。1999年(平成11年)10月1日、筑波山鋼索鉄道は筑波山ロープウェーを合併して筑波観光鉄道に社名を変更し、ケーブルカーとロープウェーを単一の事業者のもとに統合した。
2015年(平成27年)、当線は土木学会選奨土木遺産に選定され、その長い歴史と土木技術が評価された。今日、筑波山鋼索鉄道線は短いながらもよく利用される観光路線として、筑波山ロープウェーと連携し、関東平野有数の名峰の一つへ観光客を運び続けている。
年表
- 192211月16日:当線を建設することになる筑波登山鉄道に対し鉄道免許状が下付される。
- 19234月14日:筑波山鋼索鉄道が設立される。
- 19234月18日:筑波登山鉄道から筑波山鋼索鉄道への社名変更が届け出られる。
- 192510月12日:宮脇 - 筑波山頂間で営業を開始する。
- 19442月11日:不要不急線として廃止される。
- 19528月28日:筑波山鋼索鉄道に地方鉄道免許が下付される。
- 195411月3日:営業を再開する。
- 19854月26日:昭和天皇が国際科学技術博覧会の視察後に筑波山へ行啓する。
- 19951月17日:車両更新のため営業を休止する。
- 19953月1日:営業を再開し、3代目車両の運行を開始する。
- 199910月1日:筑波山鋼索鉄道が筑波山ロープウェーを合併し、筑波観光鉄道に社名変更する。
- 2015土木学会選奨土木遺産に選定される。
出典
事実確認日:2026年6月14日