歴史
鶴見線は国有鉄道としてではなく、私設の貨物鉄道として始まった。1924年、浅野財閥が中心となって鶴見臨港鉄道会社が設立され、実業家の浅野総一郎が取締役社長に就任した。これは、浅野系の事業者やその提携先が工場用地として東京湾から埋め立てつつあった土地を横断して貨物を輸送するためであった。
鉄道は1926年3月10日に貨物線として開業し、浜川崎から弁天橋までと大川へ向かう支線を合わせて運行を開始して、新たな埠頭や工場群を全国の鉄道網に結びつけた。1928年には本線が扇町まで延伸され、貨物の動脈が埋立工業地帯のさらに奥へと延びた。
旅客営業は1930年代の初めに始まった。1930年、会社は路線を直流600ボルトで電化して鶴見 - 弁天橋間を開業させ、定期の旅客列車が走りはじめて、貨物鉄道は労働者の通勤路線でもあるようになった。海芝浦支線はその後二段階で形づくられた。1932年に浅野 - 新芝浦間が貨物専用線として開業し、1940年に海芝浦まで延伸されて、延伸開業とともに旅客営業が始まった――終点のホームは、東芝の敷地内で文字どおり水際に位置することで知られている。
第二次世界大戦は、この私鉄を国の手に移した。1943年7月1日、鶴見臨港鉄道は戦時買収私鉄に指定されて国有化され、国有鉄道の鶴見線となった。工業地帯という立地と工場の側線が密に張りめぐらされた構造は、戦時下の政府が直接の管理下に置いた戦略的な貨物支線として、まさにうってつけのものであった。
国による運営のもとで、路線は段階的に近代化された。1948年には架線電圧が600ボルトから直流1,500ボルトへと昇圧され、周囲の鉄道網と揃えられた。輸送量は戦後の工業ブームで頂点に達し、1961年には年間およそ3766万人を運んで、記録上の最高値を記録した。のちに利用者が落ち着き運行のあり方が変わると、1971年には鶴見を除く全駅が無人化され、小さな沿線のホームは今日に至るまでその姿をとどめている。
1987年4月1日に日本国有鉄道が分割・民営化されると、鶴見線は新たに発足した東日本旅客鉄道(JR東日本)に引き継がれ、以後同社が運営している。JR東日本の路線となってからも、入り組んだ工業用の支線を縫って工場労働者を運ぶ短い列車という性格の多くは、鶴見臨港鉄道の時代から基本的に変わらずに受け継がれた。
車両の更新が行われたのはごく最近のことである。鶴見線には鶴見臨港鉄道の時代以来、新製の車両が投入されてこなかったため、2023年12月24日に営業運転を開始したE131系は、およそ80年ぶりの新車となった。2024年3月16日にはE131系全8編成が出そろい、それまでの205系が定期運行を終了して、京浜の工場地帯の足という当初の役割を今なお守る路線で、車両の置き換えが完了した。
年表
- 1924浅野財閥が中心となって鶴見臨港鉄道会社を設立し、浅野総一郎が取締役社長に就任。
- 19263月10日:鶴見臨港鉄道が浜川崎 - 弁天橋間と大川支線を貨物線として開業。
- 19288月18日:浜川崎 - 扇町間が延伸開業し、本線が扇町まで延びる。
- 193010月28日:全線電化され、鶴見 - 弁天橋間が延伸開業して旅客営業を開始(架線電圧600V)。
- 19326月10日:浅野 - 新芝浦間(のちの海芝浦支線)が貨物専用線として開業。
- 194011月1日:支線が新芝浦 - 海芝浦間で旅客線として延伸開業。
- 19437月1日:戦時買収私鉄に指定されて国有化され、鶴見線となる。
- 19485月1日:架線電圧が600Vから1,500Vに昇圧。
- 1961年間輸送人員が約3766万人となり、過去最高値を記録。
- 19713月1日:鶴見駅を除く全駅が無人化。
- 19874月1日:国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道(JR東日本)が継承。
- 20168月20日:駅ナンバリングが導入され、鶴見線の各駅にJI01〜JI10の番号が付与される。
- 202312月24日:E131系が運行を開始。鶴見臨港鉄道時代以来、約80年ぶりの新車となる。
- 20243月16日:E131系全8編成の投入が完了し、205系が定期運行を終了。
出典
事実確認日:2026年6月14日