歴史
路線は1912年から段階的に開業した。同年11月23日、紙屋町から鷹野橋を経て御幸橋に至る区間が開業したが、当時は紙屋町 - 鷹野橋間を西塔川線(せいとうがわせん)、鷹野橋 - 御幸橋間を御幸橋線(みゆきばしせん)と呼んでいた。1915年4月8日には御幸橋東詰(後の専売局前) - 宇品間に「宇品線」が開業したが、これは現在の経路とは異なり、宇品地区西側の堤防沿いを通るルートであり、当初は御幸橋と御幸橋東詰の間を徒歩で連絡していた。
これらの区間は1910年代の後半に結び合わされた。1919年5月25日に御幸橋の電車専用橋が開通して御幸橋 - 専売局前間が開業し、この時に西塔川線および御幸橋線が宇品線へ統合された。1935年12月27日には当初の宇品区間が廃止され、宇品通りを通る皆実町(現・皆実町六丁目) - 向宇品口(現・元宇品口)間の現在のルートへと運行が切り替えられた。
広島中心部の他の地域と同様、この路線も1945年8月6日の原爆投下によって壊滅的な被害を受け、全線で運行が休止した。しかし復旧は驚くほど速く、8月18日には電鉄前(現・広電本社前) - 向宇品口間が複線で復旧し、9月12日には紙屋町 - 電鉄前間が単線で復旧して、紙屋町 - 向宇品口間の折り返し運転が再開された。1946年1月7日には本線との直通運転が始まった。
路線が現在の姿に達したのは戦後のことである。1951年4月1日、向宇品口から宇品終点(後の宇品、現・広島港(宇品)) に至る区間が開業し、港までの経路が完成した。1958年には朝ラッシュ時の直通運転が宮島線の草津まで乗り入れるようになり、1967年10月1日には宇品停留場が移転して、路線が0.2キロメートル延長された。
21世紀に入ってからは、ダイヤや施設の変更が相次いだ。2001年11月1日には複数の停留場が改称され、宇品終点は広島港(宇品)となった。同じ改正で、東西に存在した紙屋町停留場には案内上「紙屋町西」「紙屋町東」の名称が採用された。広島港停留場は2003年3月29日に現在の3代目の位置へ移転し、これにより路線は再び0.2キロメートル延長された。今日、宇品線は広電網の繁忙な動脈として市の中心部と広島港を結び、同港からは松山・今治・呉・宮島・江田島をはじめとする瀬戸内海の島々へフェリーや水中翼船が発着している。
年表
- 191211月23日:紙屋町 - 鷹野橋 - 御幸橋間が開業。当時は紙屋町 - 鷹野橋間を西塔川線、鷹野橋 - 御幸橋間を御幸橋線と呼んでいた。
- 19154月8日:宇品線 御幸橋東詰(後の専売局前) - 宇品間が開業。宇品地区西側の堤防沿いを通る旧来のルートで、御幸橋 - 御幸橋東詰間は徒歩連絡であった。
- 19195月25日:御幸橋電車専用橋が開通し、御幸橋 - 専売局前間が開業。西塔川線および御幸橋線を宇品線へ統合。
- 193512月27日:専売局前 - 宇品間が廃止され、宇品通りを通る皆実町(現・皆実町六丁目) - 向宇品口(現・元宇品口)間の現在のルートに切り替え。
- 19458月6日:原爆投下により、全線で運行休止。
- 19458月18日:電鉄前(現・広電本社前) - 向宇品口間が複線で復旧。9月12日:紙屋町 - 電鉄前間が単線で復旧し、紙屋町 - 向宇品口間の折り返し運転を開始。
- 19461月7日:本線との直通運転を開始。
- 19514月1日:向宇品口 - 宇品終点(後の宇品、現・広島港(宇品))間が開業。
- 19586月20日:午前ラッシュ時に宇品十三丁目(現・宇品二丁目) - 草津(宮島線)間で直通運転開始。
- 196710月1日:宇品停留場移転。0.2km延長。
- 200111月1日:広島大学前・向宇品口・宇品各停留場の名称をそれぞれ日赤病院前・元宇品口・広島港(宇品)に、東西に存在した紙屋町停留場の案内上の名称を紙屋町西・紙屋町東に変更。
- 20033月29日:広島港停留場(3代目・現在の停留場)移転。0.2km延長。4月20日:横川駅 - 広電本社前間の7号線運行開始。
- 20237月24日:ダイヤ改正により、7号線が広島港(宇品)まで延長、3号線を朝と夕方以降のみの運行とする。
- 20243月25日:1号線の広電本社前 - 広島港(宇品)間における全ての連接車両でのワンマン運転を開始。
出典
事実確認日:2026年6月14日