歴史
この路線は、改正鉄道敷設法別表第88号に掲げる「鳥取県郡家ヨリ若桜ヲ経テ兵庫県八鹿附近ニ至ル鉄道」という、より長い計画線の一部として建設された。山陰本線に接続する八鹿方面への、若桜から先の区間は着工されなかった。1930年の開業当時は、沿線で伐採されるスギ丸太の貨物輸送に盛んに利用された。第二次世界大戦時には、余部鉄橋への爆撃を危惧した軍部が山陰本線のバイパス路線として八鹿方面への延伸を計画したものの、戦後にその計画は霧消した。
建設は二段階で進められた。1930年1月20日、若桜線は郡家 - 隼間で開業し、当時の距離は2.8マイル(約4.5キロメートル)と記録されていた。同年4月には営業距離の単位がマイルからキロメートルに変更された。1930年12月1日には残る隼 - 若桜間(約14.7キロメートル)が延伸開業し、若桜までの全線が開通した。蒸気機関車の時代とその後に二つの中間駅が増設され、安部駅は1932年2月5日に開業し、鳥取 - 若桜間の気動車運行は1935年3月15日に始まった。
数十年にわたり、この路線は国鉄により蒸気・ディーゼル・客貨混合の各列車を織り交ぜて運行された。蒸気機関車牽引は1970年3月に終了し、1974年10月1日には全線の貨物営業が廃止された。1970年代までに、地域の林業の斜陽化と競合するバス路線の増発により、路線は深刻な赤字に陥っていた。1982年7月1日にはDE10形牽引の客車列車が廃止され、全列車が気動車化された。
国鉄再建法のもと、若桜線は1981年9月18日に第1次特定地方交通線の一つとして廃止対象に選定された。1986年10月7日には第三セクター鉄道への転換が決定された。1987年4月1日の国鉄分割民営化に際して、路線は一旦西日本旅客鉄道(JR西日本)に引き継がれたが、JR西日本は同線を廃止し、1987年10月14日からは新たに発足した若桜鉄道が運営を引き継いだ。
第三セクターの事業者として、若桜鉄道は二つの新駅 — 1996年10月1日に八頭高校前駅、2002年3月23日に徳丸駅 — を開業させるとともに、観光資源としての路線づくりに着実に取り組んだ。郡家 - 八頭高校前間の運賃は長年日本一安い鉄道運賃で、60円であったが、2007年4月1日に100円へ値上げされた。2008年には、駅舎・プラットホーム・橋梁・転車台といった古い施設群が一括して国の登録有形文化財に登録され、これは鉄道の施設全体を一括登録した日本初の事例となった。
2009年4月1日、路線は上下分離方式へ移行した。鉄道施設は八頭町および若桜町に譲渡され、両町が線路を保有する第三種鉄道事業者となり、若桜鉄道は引き続き第二種鉄道事業者として列車を運行することになった。以後、会社は文化遺産観光に大きく軸足を置き、若桜駅で蒸気機関車C12 167を保存して圧縮空気で走らせ、2015年4月の「社会実験」ではDD16形ディーゼル機関車に牽引させて本線を走行させた。2018年には水戸岡鋭治がデザインした観光列車「昭和」を導入した。2020年3月14日には八東駅に列車交換設備が設置され、5往復の増発が可能になるとともに、JR西日本の気動車の同線への乗り入れは廃止された。
年表
- 19301月20日:若桜線 郡家 - 隼間(当時2.8マイル≒約4.5km)が開業。
- 193012月1日:隼 - 若桜間(約14.7km)が延伸開業し、若桜まで全線開通。
- 19322月5日:安部駅が開業。
- 19353月15日:鳥取 - 若桜間で気動車の運行を開始。
- 19703月:蒸気機関車の運転を廃止。
- 197410月1日:全線の貨物営業を廃止。
- 19819月18日:第1次廃止対象特定地方交通線として廃止承認。
- 19827月1日:DE10形牽引の客車列車を廃止し、全列車を気動車化。
- 198610月7日:第三セクター鉄道への転換を決定。
- 19874月1日:国鉄分割民営化によりJR西日本が承継。10月14日:JR若桜線を廃止し、若桜鉄道に転換。
- 199610月1日:八頭高校前駅が開業。
- 20023月23日:徳丸駅が開業。
- 20087月23日:駅舎・転車台など23の鉄道構造物が一括して国の登録有形文化財に登録。
- 20094月1日:上下分離方式へ移行。若桜町・八頭町が第三種鉄道事業者として施設を保有し、若桜鉄道が第二種鉄道事業者となる。
- 20183月4日:水戸岡鋭治がデザインした観光列車「昭和」の運行を開始。
- 20203月14日:八東駅に列車交換設備を新設し、5往復を増発。JR西日本車両(キハ47形)の乗り入れを廃止。
出典
事実確認日:2026年6月14日