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八栗ケーブル

Yakuri Cable

八栗ケーブル(やくりケーブル)は、四国・香川県高松市牟礼町牟礼で四国ケーブルが運営する短いケーブルカー(鋼索鉄道)の路線である。路線距離はわずか0.7キロメートル、駅数も2駅のみで、麓の八栗登山口駅から山上近くの八栗山上駅まで五剣山の斜面を登り、高低差167メートル、最急勾配288パーミル、軌間1,067ミリメートルで敷設されている。その役割は、四国八十八箇所第八十五番札所である八栗寺への参詣者・登山者を運ぶことにある。『鉄道要覧』には路線名の記載がなく、主に「八栗ケーブル」の名称で案内されているが、四国ケーブルの安全報告書では八栗鋼索鉄道線の名称も用いられている。

高松2 km
八栗ケーブルの路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この山には戦前からケーブルカーが通じていた。1926年(大正15年)10月、八栗登山電鉄に対して鉄道免許状が下付され、1928年(昭和3年)12月には八栗登山鉄道株式会社が設立された。同社は1931年(昭和6年)2月15日に八栗登山口 - 八栗山上間でケーブルカーを開業させ、急な山腹を登る寺への初めての機械化された参詣路を整えた。

この路線は戦争を無傷では乗り越えられなかった。1944年(昭和19年)2月11日、八栗登山鉄道は、利用の少ない鉄道を撤去する戦時下の方針に基づき不要不急線として営業を休止し、そのレールなどの資材は戦争のために供出された。施設を失った路線は20年にわたって休止したままとなり、当初の事業者の路線は1960年(昭和35年)12月25日に正式に廃止された。

このケーブルカーは、1960年代半ばに新たに設立された会社によって復活した。1964年(昭和39年)8月29日、八栗ケーブルという会社が八栗登山口 - 八栗山上間の免許を取得し、20年以上の空白を経て、再建された路線が同年12月28日に再開業した。戦前の路線は新会社による再建の前に正式に廃止されていたため、事業者は1964年以降の路線を別の鉄道として扱っており、これに基づいて2025年に路線の開業60周年を迎えた。

1964年の再開業のために導入された車両は、現在も使用されている。日立製作所が製造した、前面が丸みをおびたボンネット形の2両(形式はコ-1形で、1・2の番号を持つ)が再開業以来この路線で稼働しており、個別の愛称は付けられていない。就役当初は、同年に開業していた東海道新幹線にあやかって選ばれた、アイボリー地に青色のラインという塗装だった。その後塗装は何度か変更され、直近では2016年の検査時に、車体を白色と灰色とし、前面を1は赤色、2は青色とする塗り分けに改められた。

運営会社は、この一路線にとどまらず事業を広げるなかで社名を変えていった。1964年(昭和39年)6月26日に八栗ケーブルとして設立された同社は、他の山岳交通を手がけるのに伴い1970年(昭和45年)11月14日に八栗箸蔵ケーブルへと改称し、1987年(昭和62年)8月1日に現在の社名である四国ケーブルを名乗った。今日、同社は香川県や徳島県の各地でロープウェイを運営しているが、八栗ケーブルは同社唯一のケーブルカーであり続けている。

この路線は、寺への鉄道という創業以来の役割を今も担っている。列車は通常は朝から運行されるが、毎月1日の縁日には、早朝の参拝者を八栗寺へ運ぶため夜明け前から運行される。運賃は上りより下りの方が安く設定されており、2駅だけの短い乗車は、四国巡礼第八十五番札所へと続く五剣山の急な徒歩道を、今も参詣者に省かせ続けている。

年表

  • 192610月13日:八栗登山電鉄に対し鉄道免許状が下付される。
  • 192812月:八栗登山鉄道株式会社が設立される。
  • 19312月15日:八栗登山鉄道が八栗登山口 - 八栗山上間を開業する。
  • 19442月11日:不要不急線として営業を休止し、資材を供出する。
  • 196012月25日:当初の八栗登山鉄道の路線が正式に廃止される。
  • 19646月26日:八栗ケーブル(会社)が設立される。
  • 19648月29日:八栗ケーブルが八栗登山口 - 八栗山上間の免許を取得する。
  • 196412月28日:八栗ケーブルにより、20年以上の空白を経て再建された路線が再開業する。
  • 197011月14日:運営会社が八栗箸蔵ケーブルに社名変更する。
  • 19878月1日:運営会社が現在の社名である四国ケーブルに変更する。

出典