歴史
この路線は、後の広電となる会社の草創期にあたる1917年11月1日に、左官町(現在の本川町)と三篠(現在の横川駅)との間を、十日市町を経由して結ぶ形で開業した。当初は行き違い設備を4か所備えた単線であった。1926年ごろには終点であった三篠停留場が横川停留場に改称され、この路線の名の由来が定まり、1938年には全線が複線化された。
戦時中、この路線は姿を変えた。1941年7月28日に横川駅前停留場が、1942年5月には廣瀬神社停留場が廃止された。さらに1944年12月26日には左官町 - 十日市町間が広電の本線に編入され、横川線そのものは十日市町 - 横川間のみを走る路線となった。
それから1年も経たない1945年8月6日、この路線は広島市への原子爆弾投下に巻き込まれ、全線で運行が休止された。復旧は段階的に進められ、1945年12月26日に別院裏 - 十日市間が、1948年12月18日には全線が運行を再開した。この点で横川線も、広島の路面電車網の壊滅と戦後復興をともに経験した路線である。
その後の数十年、この路線は市中心部の路線網へとつながる短い連絡線としての役割に落ち着いた。1971年5月6日にはこの路線を走っていた旧・7号線の運行が廃止され、20世紀の残りの期間、横川線は独自の系統ではなく、中心部の路線へ直通する電車を通す路線として推移した。
世紀の変わり目には、横川駅側の終端を中心に近代化が一気に進んだ。2001年11月1日には終端の停留場が横川停留場から横川駅停留場へと改称された。2002年8月10日の臨時電車の試験運行を経て終端部は造り替えられ、2003年3月27日には横川駅停留場がJR横川駅前の広場へ直接乗り入れる形に移転し、2003年4月20日には新・7号線がこの路線で運行を開始して、再び独自の系統名を持つ定期運行が復活した。
超低床車両は2013年2月15日に1000形の導入によって登場し、2026年には3月4日から速度向上の試験運行が始まった。現在、営業キロ1.4キロメートルの横川線は、本線と接続する十日市町から、寺町・別院前・横川一丁目の各停留場を経て横川駅へと至る。7号線(横川駅 - 広電本社前、2023年のダイヤ改正以降は広島港まで直通)と8号線(横川駅 - 江波)に使用され、横川駅のJR線と広島の路面電車網の中心部とを結んでいる。
年表
- 191711月1日:左官町(現・本川町) - 十日市町 - 三篠(現・横川駅)間が開業。行き違い設備4か所を備えた単線であった。
- 1926この頃:終点の三篠停留場が横川停留場に改称される。
- 1938全線が複線化される。
- 19417月28日:横川駅前停留場が廃止される。
- 19425月:廣瀬神社停留場が廃止される。
- 194412月26日:左官町 - 十日市町間が本線に編入され、横川線は十日市町 - 横川間のみとなる。
- 19458月6日:原爆投下により全線で運行休止。12月26日:別院裏 - 十日市間が復旧。
- 194812月18日:全線が復旧する。
- 19715月6日:この路線を走っていた旧・7号線の運行が廃止される。
- 200111月1日:横川停留場が横川駅停留場に改称される。
- 20028月10日:臨時電車の試験運行が実施される。
- 20033月27日:横川駅停留場がJR横川駅前広場に乗り入れる形に移転。4月20日:新・7号線が運行を開始。
- 20132月15日:超低床車両1000形の運行が開始される。
- 20263月4日:速度向上の試験運行が開始される。
出典
事実確認日:2026年6月14日