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吉野線

Yoshino Line

吉野線(よしのせん)は、奈良県を走る営業キロ25.2キロメートルの鉄道路線で、大手私鉄である近畿日本鉄道(近鉄)が運営している。橿原市の橿原神宮前駅から南下し、吉野郡吉野町の吉野駅までを結び、単線の線路上に16の駅を持つ。標準軌を基幹とする近鉄の路線網のなかにあって、吉野線は独立した出自の名残として1,067ミリメートルの狭軌で敷かれ、直流1,500ボルトで電化されているのが特徴である。飛鳥地方や桜で名高い吉野の山々への主要なアクセス路であり、急行や特急の多くは南大阪線へ直通して大阪の大阪阿部野橋駅との間を結んでいる。

大淀町橿原市高取町2 km
吉野線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線は近鉄ではなく、吉野軽便鉄道によって建設された。同社は軽便鉄道法に基づいて設立され、桜の花見客を吉野山へと運ぶとともに、周囲の山々で伐り出される木材を輸送することを目的としていた。貨車を国有鉄道網へ直通させることを考慮していたため、発起人はより軽い狭軌ではなく1,067ミリメートルの軌間を採用した。最初の区間は、国有鉄道和歌山線と接続する吉野口から、当時吉野と呼ばれていた駅(現在の六田駅)までで、1912年10月25日に開業した。1913年5月には社名を吉野鉄道に改めた。

1920年代を通じて、吉野鉄道は奈良盆地の市場や幹線へ向けて北へと路線を延ばしていった。1923年12月5日には、自社の(旧)橿原神宮前駅から吉野口までの区間を開業させ、全線を直流1,500ボルトで電化して、大阪電気軌道の畝傍線(現在の近鉄橿原線)と連絡した。1924年11月1日には、主に桜井の木材市場への材木輸送を円滑にするため、国有鉄道桜井線の畝傍駅まで路線を延ばした。吉野谷へ向かう路線は1928年3月25日、六田から吉野までの区間が開業して全通した。このとき、それまで吉野と名乗っていた終着駅は、新しい山側の駅が吉野の名を引き継げるよう六田に改称された。

鉄道としての独立は1920年代の終わりに幕を閉じた。近鉄の直系母体である大阪電気軌道(大軌)は、吉野鉄道に並行して橿原神宮前から吉野へ至る自社線を建設する免許を取得していた。既存の路線を買収する方が競合線を建設するより得策だと判断し、吉野鉄道の側も並行する競争相手を警戒していたことから、両者は合併で合意し、1929年8月1日に大阪電気軌道は吉野鉄道を合併して、畝傍 - 吉野間の経路を吉野線とした。大軌はのちに関西急行鉄道と改称し、1944年には近畿日本鉄道となったため、この路線は近鉄の路線網へと組み込まれた。

合併には厄介な事情があった。大軌自身の幹線は標準軌であり、狭軌の吉野線との直通運転はできなかったのである。一方、現在の南大阪線を建設した狭軌の大阪鉄道は、吉野線と軌間が一致しており、大軌による合併の直前に吉野鉄道との直通運転を始めていた。直通は、大阪鉄道が現在の橿原神宮前である久米寺駅まで達した1929年3月29日に開始された。その大阪鉄道もまもなく大軌の傘下に入った。橿原周辺では、橿原神宮の拡張工事に伴う1939年から1940年にかけての駅の統合をはじめ、駅の整理が続き、畝傍へ向かう短い盲腸線(のちに小房線と呼ばれた)は1945年に旅客営業を失い、1952年に全廃された。

戦後の数十年で、吉野線は貨物輸送を手放しつつ、吉野へ向かう風光明媚な特急路線としての性格を強めていった。大阪阿部野橋 - 吉野間の特急は1965年3月18日に運転を開始し、自動列車停止装置(ATS)は1968年に使用が始まった。貨物営業は1984年2月1日に廃止された。1990年3月15日には26000系「さくらライナー」が営業運転を開始して吉野特急は30分間隔の運転となり、その後数年のうちにいくつかの小駅が特急停車駅に加えられた。全線の列車集中制御装置(CTC)は2001年9月1日に稼働を開始し、信号扱いを橿原神宮前駅に集中させた。

近年、この路線はいっそう観光に重きを置くようになっている。2016年9月10日、近鉄は16200系の観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」を吉野路線に投入し、大阪 - 吉野間で運転を始めた。22000系や22600系といった近代的な特急車両も当線を走っている。その後、中間の小駅の多くは無人化され、2022年にはワンマン運転が全線へ拡大された。近鉄は、標準軌の橿原線を経て京都から狭軌の吉野線へ直通できる軌間可変電車(フリーゲージトレイン)の構想を時折示してきたが、2020年代半ばの時点でそうした列車は実現しておらず、この路線は何よりも春の桜輸送で重んじられる単線・狭軌の路線であり続けている。

年表

  • 19109月5日:吉野軽便鉄道に対し、吉野口 - 北六田間の鉄道免許状が下付される。
  • 191210月25日:吉野軽便鉄道が最初の区間、吉野口駅 - 吉野駅(現在の六田駅)間を開業。
  • 19135月31日:社名を吉野鉄道に変更。
  • 192312月5日:(旧)橿原神宮前駅 - 吉野口駅間が開業。全線電化され、大軌畝傍線(現在の近鉄橿原線)と連絡。
  • 192411月1日:畝傍駅 - (旧)橿原神宮前駅間が開業。
  • 19283月25日:六田駅 - 吉野駅間が開業して全通。これまでの吉野駅を六田駅に改称。
  • 19293月29日:久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)が開業し、同駅まで達した大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)との直通運転を開始。
  • 19298月1日:大阪電気軌道が吉野鉄道を合併し、畝傍 - 吉野間を吉野線とする。大軌はのちに関西急行鉄道、1944年に近畿日本鉄道(近鉄)となる。
  • 19529月1日:1945年に旅客営業を休止していた、畝傍方面の盲腸線である小房線が廃止される。
  • 19653月18日:大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間に特急運転を開始。
  • 19689月26日:自動列車停止装置(ATS)の使用を開始。
  • 19842月1日:貨物営業を廃止。
  • 19903月15日:26000系「さくらライナー」が営業運転を開始し、吉野特急が30分間隔運転となる。
  • 20019月1日:吉野線全線のCTC(列車集中制御装置)が稼働を開始し、信号扱いが橿原神宮前駅に集中される。
  • 20169月10日:16200系の観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」が、大阪 - 吉野間の吉野特急で運転を開始。
  • 20224月23日:ワンマン運転を吉野線全線に拡大。

出典