歴史
この路線は、御堂筋線、および後に谷町線となる区間に次ぐ、大阪市営地下鉄で3番目に古い路線である。最初の区間である大国町 - 花園町間の単線区間は、太平洋戦争の初期にあたる1942年5月10日に開業した。当初は単線で1両編成の折り返し運転として開業し、いずれは市の西側を北上する3号線計画の南側部分として構想されたものであった。戦中および終戦直後の状況により延伸は遅れ、この短い路線は10年以上にわたってほぼ単独で存在していた。
この区間は1948年4月3日に複線化され、その後、路線は段階的に南へと延伸された。1956年6月1日には花園町 - 岸里間(1.1キロメートル)が、1958年5月31日には岸里 - 玉出間(1.3キロメートル)が開業した。2両編成運転は1959年9月1日に始まった。これらの延伸により、御堂筋の通りの西側に広がる古い住宅・工業地区を抜ける路線の南半分が、徐々に形づくられていった。
路線の性格は1965年10月1日に大きく変わった。この日、大国町から西梅田までの長い北側の延伸区間(4.9キロメートル)が開業し、路線は梅田の商業地区へと達して、御堂筋線の梅田駅に隣接する北側の終点を得た。4両編成運転も同日に始まった。新区間は路線名の由来である四つ橋筋の地下を走り、それまで南側のささやかな折り返し路線であったものを、市中心部の西側を貫く幹線へと変えた。「四つ橋線」という路線の愛称は、1969年12月6日に正式に定められた。
路線は1972年11月9日に現在の姿となった。この日、玉出から住之江公園までの最後の区間(2.8キロメートル)が開業し、西梅田 - 住之江公園間の路線が全通した。この延伸にあわせて5両編成運転が始まり、自動列車制御装置 (ATC) と列車集中制御装置 (CTC) が導入され、路線を受け持つ緑木町検車場が開設された。これ以降、四つ橋線は全長11.4キロメートル・11駅という、現在まで続く姿で運行されている。
20世紀後半を通じて、路線は列車を長くし、車両を更新していった。23系電車は1990年6月1日から導入され、それまでの30系ステンレス車を徐々に置き換え、30系は1996年11月に撤退した。6両編成運転は1996年10月26日に始まり、1997年3月29日までに全列車が6両編成となった。路線はその歴史の大半を通じて大阪市交通局によって運営されてきたが、2018年4月1日に大阪市営地下鉄が民営化され、四つ橋線は路線網のほかの路線とともに、新たに発足した大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の路線となった。運営者の交代は乗客にとっては切れ目のないものであった。
今日、四つ橋線は Osaka Metro の主要な南北路線の一つであり、御堂筋線の西側をこれと並行して走り、梅田・本町・難波といった同線の最も混雑する乗換地区のいくつかを共有しながら、市中心部の西側と大阪南部の住宅地区を結んでいる。23系電車の6両編成で運行され、過密な御堂筋線を補完するバイパス路線として、また梅田のターミナル地区と南の住之江地区とを直接結ぶ路線として、引き続き機能している。
年表
- 19425月10日:大国町 - 花園町間(1.3 km)が単線で開業。1両編成で運転。
- 19484月3日:大国町 - 花園町間が複線化される。
- 19566月1日:花園町 - 岸里間(1.1 km)が開業。
- 19585月31日:岸里 - 玉出間(1.3 km)が開業。
- 19599月1日:2両編成運転を開始。
- 196510月1日:大国町 - 西梅田間(4.9 km)が開業し、梅田地区へと達する。4両編成運転を開始。
- 196912月6日:路線の愛称が正式に「四つ橋線」と定められる。
- 197211月9日:玉出 - 住之江公園間(2.8 km)が開業して全通。5両編成運転を開始し、ATC・CTC化、緑木町検車場を開設。
- 19906月1日:23系電車を導入し、それまでの30系ステンレス車を順次置き換える。
- 199610月26日:6両編成化を開始。11月に30系ステンレス車が撤退。
- 19973月29日:全列車の6両編成化が完了する。
- 20184月1日:大阪市営地下鉄の民営化により、四つ橋線は大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の路線となる。
出典
事実確認日:2026年6月14日