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湯の川線

Yunokawa Line

湯の川線(ゆのかわせん)は、北海道函館市で函館市企業局交通部が運営する路面電車・函館市電の営業キロ6.1キロメートルの軌道路線である。市街地に近い松風町を起点に、東へ向かって湯の川温泉街の湯の川に至り、本線・宝来谷地頭線・大森線とともに、二つの系統がこれら四つの路線名を使って運行される小規模な路線網を構成している。函館市電は日本でも有数の歴史を持つ路面電車であり、北海道遺産に指定されている。

2 km
湯の川線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線網の起源は電車ではなく馬車鉄道にあった。亀函馬車鉄道は1894年1月に設立され、1897年12月12日に弁天町 - 東川町間で函館初の軌道を開業した。これは東京以北で日本初の路面電車であった。その後、合併を経て函館馬車鉄道となり、路線網の再編に伴って1903年には海岸部の区間が廃止された。

電化は民間の電力会社の手で行われた。函館水電が1911年10月1日に軌道を買収し、1913年6月29日に東雲町から湯川方面に至る区間を電化して開業させた。これは北海道初の電気鉄道の路面電車であり、市街地東端の温泉地へ伸びる、今日の湯の川線の母体となった区間である。残る馬車鉄道の区間も十字街を経て1913年10月31日に電化され、電気運転への転換が完了した。その後、所有は帝国電力を経て、さらに譲渡を重ねたうえで公営化に至る。

函館市は1943年11月1日に軌道を引き継いで市営の交通事業を発足させ、1952年にはこれが公営企業としての函館市交通局に改組された。市営化のもとで、路線網の東端では湯の川までの全通へ向けた長い過程が進められた。

その全通は戦争によって遅れた。東端の鮫川 - 湯川間の単線区間は1945年7月2日に撤去され、路線は本来の終点に届かない状態となった。撤去された湯の川温泉 - 湯川間が複線で再敷設され再開業して、ようやく湯の川まで通じたのは1959年9月2日のことである。この全通によって市電は最大規模に達し、最盛期には六つの路線上を十二の系統が走り、総延長は17.9キロメートルに及んだ。

1970年代後半からは、利用者の減少により路線網は縮小を迫られた。本線の一部や宮前線・東雲線を含む区間が1978年・1992年・1993年に廃止され、交通局が併せて運営していたバス路線も2003年4月1日までに撤退した。路面電車は現在の四つの路線名・総延長10.9キロメートルにまで縮小され、そのうち湯の川線は6.1キロメートルと、単独の路線としては最も長い区間となっている。

現在の湯の川線は、残された路線網の東半分を担っている。2011年4月1日には市の水道局と交通局が統合されて函館市企業局が発足し、旧交通局はその交通部となって、今日この路線を運営している。湯の川の終点は今も湯の川温泉郷への玄関口であり、そこへ至る歴史ある路面電車は函館を象徴する存在の一つとなっている。

年表

  • 18941月:函館に馬車鉄道を敷設するため、亀函馬車鉄道が設立される。
  • 189712月12日:弁天町 - 東川町間で函館初の軌道(馬車鉄道)が開業。東京以北で日本初の路面電車となる。
  • 19037月8日:馬車鉄道の再編に伴い、海岸部の区間が廃止される。
  • 191110月1日:函館水電が軌道を買収する。
  • 19136月29日:東雲町 - 湯川間が電化開業。北海道初の電気鉄道の路面電車であり、今日の湯の川線の母体となる。
  • 191310月31日:十字街を経由する残りの区間が電化され、電気運転への転換が完了する。
  • 194311月1日:函館市が軌道を引き継ぎ、市営の交通事業を発足させる。
  • 19457月2日:東端の鮫川 - 湯川間の単線区間が撤去され、路線は本来の終点に届かなくなる。
  • 195210月1日:市営の交通事業が公営企業としての函館市交通局に改組される。
  • 19599月2日:撤去された湯の川温泉 - 湯川間が複線で再敷設され再開業し、湯の川まで全通。市電は最大規模に達する。
  • 197811月1日:利用者減少により、本線の1.6キロメートルの区間が廃止される。
  • 19924月1日:東雲線が廃止される。
  • 19934月1日:本線の1.8キロメートルの区間と宮前線が廃止される。
  • 20034月1日:交通局が併せて運営していたバス事業から撤退し、軌道専業となる。
  • 20114月1日:市の水道局と交通局が統合されて函館市企業局が発足し、旧交通局が交通部となる。現在の運営主体である。

出典

事実確認日:2026年6月14日