歴史
信濃追分駅の前身は、1909年(明治42年)6月25日に開設された鉄道院の追分仮停車場である。中山道の宿場町として栄えながら鉄道開通で寂れていた追分の現状を、帝国鉄道庁初代総裁の平井晴二郎や鉄道院副総裁を務めた野村龍太郎らが知り、夏場の大学生合宿地として宿場の建物を活用することを発案して、まずは夏場限りの仮乗降場として開設された。鉄道院副総裁・長谷川謹介の指示により、1923年(大正12年)10月1日に鉄道省信越本線の信濃追分駅へ昇格した。「追分」は中山道と北国街道の分岐点を意味し、旧国名「信濃」を冠したのは駅昇格時、現在の室蘭本線・奥羽本線に同名の追分駅が既に存在していたためである。1969年(昭和44年)以降数次にわたり営業範囲が縮小され、1985年(昭和60年)3月14日に無人駅化、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化でJR東日本の駅となった。1997年(平成9年)10月1日の北陸新幹線開業に伴いJR東日本からしなの鉄道に移管され、2013年(平成25年)7月13日に自動券売機が供用開始。2026年(令和8年)3月14日にはICカード「Suica」の利用が可能となった。
歴史は日本語版・英語版ウィキペディアより要約 · 最終確認 2026-05-22。
備考
信濃追分駅は標高957 mで、JR時代には中央本線富士見駅と並んで特急が通る日本最高所駅として知られていたが、しなの鉄道への移管と同時に特急設定は消滅した。現在もしなの鉄道最高所駅であり、JRを除いた普通鉄道では最も標高の高い駅である(JRで最も標高の高い駅は小海線野辺山駅の標高1,345.67 mである)。