歴史
原爆ドーム前停留場は1912年(大正元年)12月8日、広島電鉄本線が紙屋町から己斐まで開通したのに合わせ、当地にあった広島城三番櫓と路面電車に電気を供給する櫓下変電所にちなんで「櫓下停留場」として開業した。1929年(昭和4年)ごろには西側に架かるT字型の相生橋にちなんで相生橋停留場と改称。1944年(昭和19年)6月10日に営業休止、翌1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下では、相生橋がT字形ゆえに投下目標とされたとされ、爆心地直近の当地でも櫓下変電所が瞬時に倒壊、相生橋下流の広島県産業奨励館も破壊された。市内線は己斐方面から復旧し、9月7日には当停留場を含む八丁堀 - 左官町間の運行を再開している。爆風に耐えた産業奨励館は戦後「原爆ドーム」として保存され、平和記念公園とともに訪れる観光客への案内のため、1974年(昭和49年)12月16日に停留場名は相生橋から原爆ドーム前へ改称された。2006年7月31日にはバリアフリー化が完了し、2012年3月23日には停留場前の軌道敷が芝生で緑化された(維持管理が難しく2023年6月にアスファルトで埋め戻された)。2025年(令和7年)8月3日には駅番号がM10からM09へ変更された。
歴史は日本語版・英語版ウィキペディアより要約 · 最終確認 2026-06-09。
備考
停車時には平和記念公園の慰霊碑の鐘の音をモチーフとした音が車内放送で流れ、また毎年8月6日の原爆投下時刻には、被爆電車2両が当停留場ですれ違うダイヤが組まれている。