歴史
紙屋町停留場は1912年(大正元年)11月23日、本線(広島駅前 - 櫓下)と当停留場を起点とする宇品線(紙屋町 - 御幸橋)の同時開通とともに、相生通りと鯉城通りが交差する紙屋町交差点に開設された。開業当初は両線の線路が形作るデルタ線の内側、交差点中央に乗り場があり、信号機やポイント操作のための詰所も備えられていたが、のちに交差点の東西に移設されている。1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下で休止、9月7日に本線左官町 - 八丁堀間、9月12日に宇品線紙屋町 - 電鉄前間が復旧し、翌1946年1月7日に本線と宇品線の直通運転が再開された。2001年(平成13年)11月1日に東側を「紙屋町東」、西側を「紙屋町西」と呼び分ける措置がとられ、2003年(平成15年)4月20日には乗換え指定電停となった。長らく両乗り場ともM9を共用していたが、2025年(令和7年)8月3日の駅前大橋ルート開通に合わせ、紙屋町東がM07、紙屋町西がM08と乗り場ごとに番号を分割している。
歴史は日本語版・英語版ウィキペディアより要約 · 最終確認 2026-05-25。
備考
紙屋町交差点での信号待ちに対応するためホームが非常に長く、宮島線に直通する3両連接車が2編成同時に乗降客扱いできる長さがある。上屋は1988年(昭和63年)4月にほぼ全長にわたって取り付けられ、東西の乗り場は2001年4月に開業した地下街・紙屋町シャレオを介して連絡している(同時に交差点上の横断歩道は廃止された)。