日赤病院前

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歴史

当停留場は1912年(大正元年)11月23日、宇品線が紙屋町停留場から御幸橋停留場までの区間で開通した際に「高等師範前停留場(こうとうしはんまえていりゅうじょう)」として開設された。当時、停留場前には広島高等師範学校が所在していた。1929年(昭和4年)に広島文理科大学が設立され広島高師がその附属校になると、停留場名もこのころ「大学前停留場」に変更された。戦後、広島文理科大学は新制広島大学に包括され1962年(昭和37年)に廃止、1964年(昭和39年)2月18日には停留場名も「広島大学前停留場」に改められた。しかしのちに広島大学は大部分の学部が東広島市キャンパスへ移転、これに伴い2001年(平成13年)11月1日に「日赤病院前停留場」と3度目の改称を行い、同時に当停留場止まりの電車が設定された。1934年(昭和9年)3月には紙屋町寄りに100メートル移設され、現在の位置となっている。1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下で休止、9月12日に電鉄前 - 紙屋町が単線で復旧、12月中旬には複線で復旧した。1996年(平成8年)10月に駅番号「U6」を付与、2003年(平成15年)8月1日に隣の広電本社前停留場とともに乗換停留場の指定を受け、2025年(令和7年)8月3日にU06へ変更された。

歴史は日本語版・英語版ウィキペディアより要約 · 最終確認 2026-06-09。

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備考

日赤病院前停留場の3度の停留場名(高等師範前 → 大学前 → 広島大学前 → 日赤病院前)は、停留場前に立地した広島高等師範学校・広島文理科大学・新制広島大学、そして大学の東広島市移転と、停留場前に残った広島赤十字・原爆病院という、約100年にわたる広島の高等教育・医療施設の変遷を反映している。

出典

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