歴史
宇品二丁目停留場は1935年(昭和10年)12月27日、宇品線の御幸橋東詰停留場(後の専売局前停留場)から宇品停留場までの区間が新線に移設された際に「女専前停留場(じょせんまえていりゅうじょう)」として開設された。停留場名は近くにあった広島女子専門学校に由来する。1942年(昭和17年)5月にいったん廃止、1945年(昭和20年)8月に再開業。戦後の学制改革により広島女専に代わって大学(広島女子大学を経て現在の県立広島大学)が開学すると、1950年(昭和25年)頃に「女子大前停留場」、1953年(昭和28年)頃には「宇品十三丁目停留場」と改称、1968年(昭和43年)9月1日には町名変更を受けて「宇品二丁目停留場」に改称された。ただし「宇品」という町・字は存在したことがなく、停留場名と地名が食い違っている。1958年(昭和33年)6月20日には当停留場 - 草津駅間で午前ラッシュ時のみ鉄軌道直通運転が開始された。2003年(平成15年)4月20日のダイヤ改正により平日午前ラッシュ時の宮島線からの宇品二丁目行きが広島港まで延伸、2004年(平成16年)11月16日に5号線の最終電車が皆実町六丁目ゆきに変更となり当停留場止まりの電車はいったんなくなったが、2011年(平成23年)4月に渡り線の折り返し自動化が完了、4月11日のダイヤ改正により当停留場折り返し電車が復活し、同日より乗換停留場に指定された。ホームは併用軌道上に低床式で2面、互いに南北方向にずれて、北に広島港方面の下りホーム、南に広島駅方面の上りホームが置かれており、いずれも3両・5両連接車に対応した長さを持つ。駅番号はU12。
歴史は日本語版・英語版ウィキペディアより要約 · 最終確認 2026-05-25。
備考
宇品二丁目停留場の西には、宇品陸軍糧秣支廠の建物の一部を利用した広島市郷土資料館がある。1935年(昭和10年)に新線へと移設される前の宇品線はこの糧秣支廠の脇を抜けており、途中には糧秣支廠北裏門、糧秣支廠西裏門という停留場が設けられていた。