歴史
知寄町二丁目停留場は1909年(明治42年)10月30日、とさでん交通の前身土佐電気鉄道が後免線の下知停留場から葛島橋西詰停留場までの区間を開通させた際に新地通停留場(しんちどおりていりゅうじょう)として開業した。1911年(明治44年)8月22日には当停留場から南へ分岐し堀川の河畔に至る支線「新地線」が新地通 - 新地間で開通、当停留場はその起点だった。新地線は1944年(昭和19年)7月15日に節電のため休止、1954年(昭和29年)7月19日に廃止が届け出られた。停留場名は1936年(昭和11年)7月27日に海岸通停留場、1938年(昭和13年)2月1日に若松町通停留場と相次いで改称し、1957年(昭和32年)1月8日より知寄町二丁目を称するようになった。隣接していた若松町車両工場は1929年(昭和4年)8月30日に新設、1962年(昭和37年)8月24日の東雲町車両工場完成に伴って廃止された。2014年(平成26年)10月1日、土佐電気鉄道と高知県交通・土佐電ドリームサービスの経営統合により発足したとさでん交通の停留場となった。
歴史は日本語版・英語版ウィキペディアより要約 · 最終確認 2026-05-25。
備考
かつての新地線は当停留場から終点の新地停留場までわずか0.5 kmの短い支線で、終点の停留場も親停留場の改称と歩調を合わせ、新地→海岸通終点→若松町と改称した。