歴史
スタジアムシティノース停留場は1915年(大正4年)、長崎電気軌道の路線開業と同日に井樋の口停留場として開業した。当時の停留場は現在の宝町公園の西側付近にあり、路線は当停留場から長崎駅前に向かって公園を迂回し長崎本線と並走するルートをとっていた。1956年(昭和31年)には宝町公園前に移設、1966年(昭和41年)9月20日には銭座町停留場(ぜんざまちていりゅうじょう)へ改称した。1995年(平成7年)2月9日には横断歩道橋が撤去され、停留場は茂里町寄りに100メートル移設された。2024年(令和6年)10月1日には長崎スタジアムシティの開業に合わせ、運営会社のリージョナルクリエーション長崎との命名権契約に基づきスタジアムシティノース停留場へ再改称された。『鉄道要覧』記載の停留場名も「スタジアムシティノース」に改められたが、現地の案内表示では「銭座町」の名称も一部併記されている。停留場番号は24。
歴史は日本語版・英語版ウィキペディアより要約 · 最終確認 2026-05-25。
備考
「銭座町」の名は江戸時代に当地に銭貨の鋳造所(銭座)が置かれていたことに由来するが、停留場の所在地は実際には目覚町である。