歴史
この路線は、飛騨の山地へ南北双方から建設された二つの鉄道として始まった。南側は高山線、北側は飛越線として工事が進められた。美濃太田駅付近のルートは当初、立憲政友会の意向で名古屋から直接北上する案だったが、憲政会の働きかけで岐阜駅を経由する案へと改められ、改正後の案は1918年(大正7年)2月9日に衆議院を、3月1日に貴族院を通過した。高山線は1920年11月1日に岐阜駅 - 各務ケ原駅間が最初に開業し、その後1921年から1931年にかけて美濃太田・下麻生・上麻生・白川口・飛驒金山・焼石・下呂・飛驒萩原へと順次延伸され、南側最後の区間である飛驒小坂駅までが1933年8月25日に開業した。
北側では、飛越線が富山駅から南へ延び、1927年9月1日に富山駅 - 越中八尾駅間が開業した。さらに南進し、1929年に笹津、1930年に猪谷、1932年に杉原、1933年11月12日に坂上へと達した。両線は1934年10月25日に接続され、同日、飛越線が高山線に編入されたうえで全線が高山本線と改称された。
この路線は本来、中京圏(名古屋都市圏)と北陸地方を直接結ぶことを目的としていた。英語版ウィキペディアによれば、高山本線経由は東海道新幹線と北陸本線を乗り継ぐ経路より距離は短いものの所要時間は長く、現在では下呂温泉や高山、白川郷、木曽川といった飛騨地方の観光地へのアクセス路線としての性格が強い。日本語版ウィキペディアによれば、日本国有鉄道(国鉄)時代の1960年代に観光ブームで乗客が激増し、沿線開発に伴い貨物輸送も増加したため、1960年代後半に蒸気機関車牽引列車の廃止、列車行き違い設備の増設、列車集中制御装置(CTC)の導入といった輸送近代化が、1967 - 1969年度を中心に行われた。日本語版ウィキペディアは、200キロメートルを超える在来線へのCTC導入は国鉄初であったと記している。
1987年の国鉄分割民営化後は、岐阜駅 - 高山駅間で行き違い可能駅の分岐器を110キロで高速通過できる型へ取り換えるなど、優等列車の高速運転に向けた改良が行われた。日本語版ウィキペディアによれば、1990年代には特急「ひだ」がキハ85系に置き換えられスピードアップした。2018年3月には駅ナンバリングと路線カラーが導入され、ラインカラーは暗い赤、路線記号はCGとされた。
現在の主要列車は特急「ひだ」で、名古屋と高山・飛驒古川・富山の間を1日10往復し、名古屋発着列車は途中の岐阜駅で進行方向を変える。英語版ウィキペディアによれば、「ひだ」はHC85系で運行される。「ひだ」以外の列車はすべて各駅に停車し、普通列車はワンマン運転のこともあり、一部は太多線を経由して多治見駅へ直通する。JR東海の区間ではキハ25系・キハ75系が、JR西日本の区間ではキハ120系が使用され、キハ40系は2015年6月30日に同線から引退した。日本語版ウィキペディアによれば、高山本線は本州の「本線」のうち唯一、地方交通線に分類されている路線である。
山岳路線であるため、大雨や台風による被害をたびたび受けてきた。英語版ウィキペディアによれば、2004年10月22日には台風23号(トカゲ)の水害で角川駅 - 猪谷駅間が不通となり、段階的に復旧して最後の区間は2007年9月8日に運転を再開した。2018年の西日本豪雨では、6月29日の土砂崩れで飛驒萩原駅 - 飛驒小坂駅間が不通となり、被害は拡大して7月8日までに美濃太田駅 - 富山駅間に及び、坂上駅 - 猪谷駅間は同年11月21日まで再開しなかった。また富山市は社会実験として2008年3月15日に婦中鵜坂駅を臨時駅として開業させ、2011年の実験終了後も存続が決まり、2014年3月15日に常設駅となった。
年表
- 1918The Gifu-routed plan passes the House of Representatives (9 February) and the House of Peers (1 March), settling the route via Gifu rather than directly from Nagoya.
- 19201 November: the Takayama Line's first section, Gifu–Kakamigahara, opens.
- 19271 September: the Hietsu Line opens its first section, Toyama–Etchū-Yatsuo, extending south from Toyama.
- 1933The southern Takayama Line reaches Hida-Osaka (25 August); the northern Hietsu Line reaches Sakakami (12 November).
- 193425 October: the two lines are joined; the Hietsu Line is merged into the Takayama Line and the whole route is renamed the Takayama Main Line.
- 1967Late 1960s: under JNR, steam haulage ends and CTC plus added passing facilities modernise the line (concentrated FY1967–1969); per JA, JNR's first CTC on a conventional line over 200 km.
- 200422 October: the Tsunogawa–Inotani section closes due to flooding from Typhoon Tokage; the last section reopens 8 September 2007.
- 200815 March: Toyama opens Fuchū-Usaka Station as a temporary station under a social experiment.
- 201415 March: Fuchū-Usaka Station is made permanent.
- 201530 June: the last KiHa 40 series DMUs are withdrawn from the line (KiHa 25 series phased in from the March 2015 timetable).
- 2018March: station numbering and line colouring introduced (dark red, line code CG). June–November: the 2018 Japan floods close sections; Sakakami–Inotani reopens 21 November.
出典
事実確認日:2026年6月3日
ギャラリー 4枚
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