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山田線

Yamada Line

山田線(やまだせん)は、岩手県を走る東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。岩手県の県庁所在地である盛岡市の盛岡駅を起点に、太平洋岸の宮古市にある宮古駅までの102.1キロメートルを結ぶ。全線が単線・非電化で、キハ110系気動車により最高速度85キロメートル毎時で運行される。北上山地を横断し、その大部分で国道106号に沿って走る。路線名は、かつて沿線に含まれていた山田町に由来するが、後に沿岸部の区間が分離された。現在は通勤・通学を中心とする地域輸送を担うローカル線であり、都市間移動の需要は少なく、並行する106急行バスが両市間の流動の多くを担っている。

山田線の路線図 · 県境: 国土数値情報(国交省)

歴史

盛岡と三陸地方を結ぶ鉄道は、1892年公布の鉄道敷設法に、当初は盛岡から陸中山田に至る路線としてすでに規定されていた。測量調査は行われたものの、盛岡 - 宮古間で北上山地(標高751メートルの区界峠)を越える必要があったため、計画は数十年にわたり具体化しなかった。建設が決まったのは1920年で、岩手県出身で2年前に内閣総理大臣となっていた原敬が後押ししたことによる。人口の希薄な山岳地帯に路線を敷くことには異論もあり、帝国議会の審議で野党議員が「峠に山猿でも乗せるつもりか」と非難し、原が「鉄道規則では猿は乗せないことになっている」と答えたという逸話が広く語り継がれている。

路線は段階的に開業した。最初の区間である盛岡 - 上米内間(9.9キロメートル)が1923年10月10日に開業し、その後、1928年に区界、1933年に陸中川井、そして1934年11月6日に宮古へと順次東へ延伸された。1935年11月17日にはさらに宮古から沿岸を南下して陸中山田までが開業した。この南への延伸は、改正鉄道敷設法に規定された三陸縦貫鉄道の一部として続けられ、岩手船越・大槌を経て、1939年9月17日に大槌 - 釜石間が開業して盛岡 - 釜石間が全通し、太平洋戦争を目前に通し運転が実現した。

開業後、盛岡 - 宮古間の列車はしばしば満員で立ち通しとなることも少なくなかった。1950年に釜石線が全通するまで、山田線は岩手県北部で海岸部と内陸を結ぶ唯一の直通路線であり、1939年に釜石へ達してからは、釜石の製鉄所や鉱山と東北本線とを結ぶ路線として日夜貨物輸送を担った。1946年11月には風水害により平津戸 - 蟇目間が不通となり、全線の復旧には1954年までを要した。その代替として連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指示で釜石線の改築・全通が促進され、同線の開通後は内陸への主要貨物ルートが山田線から移り、その相対的な地位は低下した。蒸気機関車(C58形)の運行は1970年2月28日に終了し、盛岡 - 釜石間の貨物営業は1986年11月1日に廃止された。

1987年4月1日の日本国有鉄道の分割民営化により、山田線は東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継され、同社の路線網に組み込まれた。1991年7月7日からはキハ100系気動車が運用を開始した。その後の数十年間に、利用の少ない山間の駅が相次いで廃止された。長く日本有数の「秘境駅」として知られた大志田・浅岸の両駅は、2013年から冬季に全列車が通過するようになり、2016年3月26日に廃止され、平津戸駅も利用者の減少により2023年3月18日に廃止された。

2011年3月11日の東日本大震災は、沿岸部の区間に壊滅的な被害をもたらした。55.4キロメートルの宮古 - 釜石間では21.7キロメートルが浸水し、同区間の13駅のうち4駅が、線路の約1割・鉄橋6か所・盛土10か所とともに破壊された。津波により織笠・大槌・鵜住居の各駅が流失し、陸中山田駅は津波による火災で焼失した。内陸の盛岡 - 宮古間は2011年3月26日に運転を再開したが、沿岸の宮古 - 釜石間で鉄道運行が再開されるまでには8年を要することとなった。

沿岸区間について、JR東日本は2012年と2013年の二度にわたり、気仙沼線や大船渡線と同様に被災した鉄道用地をバス・ラピッド・トランジット(BRT)に転換する案を提案したが、鉄路復旧を前提にまちづくりを進めていた沿線4市町はいずれも拒否した。2014年、JR東日本は約210億円と試算された復旧費用の大半を負担した上で、復旧した区間を第三セクターの三陸鉄道へ移管することに合意した。宮古 - 釜石間は2019年3月23日に運転を再開して三陸鉄道へ移管され、同社の旧北リアス線・南リアス線と一体化されて、一本の連続したリアス線となった。これにより山田線は内陸の盛岡 - 宮古間のみとなり、現在もJR東日本のローカル線として残るが、路線名の由来である山田町には至らなくなった。

年表

  • 1892盛岡から三陸方面の陸中山田に至る鉄道が鉄道敷設法に規定されるが、山地越えのため建設は数十年にわたり具体化しなかった。
  • 1920岩手県出身の首相・原敬の後押しにより、ようやく建設が決定される。
  • 192310月10日:最初の区間である盛岡 - 上米内間(9.9km)が開業。
  • 19289月25日:上米内 - 区界間(25.7km)が延伸開業。
  • 193411月6日:陸中川井 - 宮古間(28.6km)が延伸開業し、宮古に達する。
  • 193511月17日:宮古 - 陸中山田間(26.5km)が延伸開業し、沿岸を南下する。
  • 19399月17日:最後の区間である大槌 - 釜石間(12.3km)が開業し、盛岡 - 釜石間が全通する。
  • 194611月26日:風水害により平津戸 - 蟇目間が不通となる。全線の復旧は1954年までかかった。
  • 19702月28日:蒸気機関車(C58形)の運行が終了。翌3月1日に無煙化される。
  • 198611月1日:盛岡 - 釜石間の貨物営業が廃止される。
  • 19874月1日:日本国有鉄道の分割民営化により、東日本旅客鉄道(JR東日本)が承継する。
  • 19917月7日:キハ100系気動車が運用を開始する。
  • 20113月11日:東日本大震災により、55.4kmの宮古 - 釜石間で21.7kmが浸水し、同区間の13駅中4駅が破壊される。内陸の盛岡 - 宮古間は3月26日に運転を再開する。
  • 20163月26日:日本有数の秘境駅であった大志田・浅岸の両駅が廃止される。
  • 20193月23日:宮古 - 釜石間が運転を再開し、三陸鉄道へ移管されてリアス線の一部となる。
  • 20233月18日:利用者の減少により平津戸駅が廃止される。

出典