橋本

Hashimoto (Wakayama)

橋本
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歴史

橋本駅は1898年(明治31年)4月11日、紀和鉄道の開業当初の終着駅として設置された。1900年(明治33年)11月25日に粉河駅まで延伸して途中駅となり、和歌山駅(現・紀和駅)まで直結した。1904年(明治37年)8月27日に紀和鉄道が関西鉄道に譲渡され、1907年(明治40年)10月1日には鉄道国有法による国有化で帝国鉄道庁の駅となった。1909年(明治42年)10月12日の線路名称制定で和歌山線所属となる。1915年(大正4年)3月11日に高野登山鉄道が三日市町駅から延伸して当駅に乗り入れ、国鉄との共同駅となり、同年4月30日に同社は大阪高野鉄道へ社名変更された。1922年(大正11年)9月6日に大阪高野鉄道は南海鉄道に合併され、1924年(大正13年)11月1日には南海高野線が学文路駅まで延伸された。1944年(昭和19年)6月1日に南海鉄道が関西急行鉄道と合併し近畿日本鉄道の駅となり、1947年(昭和22年)6月1日に旧南海鉄道の路線が近鉄から南海電気鉄道に譲渡された。1959年(昭和34年)7月30日に駅舎改築工事が竣工。1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化でJR西日本と南海電気鉄道の駅となった。1995年(平成7年)8月30日に南海高野線御幸辻 - 橋本間が複線化、2005年(平成17年)10月16日に高野線当駅以南でワンマン運転を開始、2006年(平成18年)7月1日に南海でPiTaPaが利用可能となった。2011年(平成23年)3月1日に南海橋上駅舎とエレベーター付き跨線橋が完成、2020年(令和2年)3月14日にJR西日本でICOCAが利用可能となり、2021年(令和3年)5月13日にみどりの窓口の営業を終了、翌14日にみどりの券売機プラスの利用が開始された。

歴史は日本語版・英語版ウィキペディアより要約 · 最終確認 2026-05-22。

備考

1945年(昭和20年)7月24日、米軍機により駅舎や2番線上りホームに停車中の貨物列車に機銃掃射を受け、駅構内で5名、周辺で2名が死亡した。跨線橋下の倉庫の板壁にはこの時の弾痕が残っていたが、2010年のバリアフリー化工事で跨線橋ごと取り壊されることとなり、市民有志が板壁の一部と「大正元年九月 鉄道院 東京月島機械製作所製造」の刻印がある跨線橋柱を譲り受け、近くの丸山公園・地蔵菩薩像前に移設保存、2011年7月22日に板壁保存記念・犠牲者追悼式典が営まれた。

出典

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