歴史
JR西日本:1895年(明治28年)10月17日、大阪鉄道(初代)が玉造 - 梅田(現・大阪)間を延伸開業させた際、浪速鉄道との交点に設置されたのが最初。大阪鉄道の駅としては京橋(橋梁)に最も近接する駅であったことから「京橋」と命名された。1907年(明治40年)10月1日に関西鉄道が国有化、1909年(明治42年)10月12日の線路名称制定で城東線所属となった。1912年(明治45年)4月21日、片町線の片町駅に京橋口乗降場を開設して城東線京橋駅と接続。1913年(大正2年)11月15日に格上げされて片町線京橋駅となった。1945年(昭和20年)8月14日、京橋駅空襲で1トン爆弾が片町線ホームに命中し、避難していた700 - 800人以上が死亡した。1951年(昭和26年)5月30日に城東線駅舎が完成、1955年(昭和30年)1月25日に片町線が複線化されてホームが島式1面2線となった。1961年(昭和36年)4月25日に城東線が大阪環状線の一部となる。1971年(昭和46年)6月に西口駅舎竣工、1990年(平成2年)3月20日に3F新コンコース・地下鉄との連絡地下道使用開始、駅正面口の呼称を「中央口」に変更。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化でJR西日本の駅となった。1997年(平成9年)3月8日のJR東西線開業に伴い片町線の片町駅 - 当駅間が廃止され、当駅は片町線の終点・JR東西線の起点となった。2022年(令和4年)1月30日に1番線、2月20日に2番線で可動式ホーム柵の使用を開始。京阪電鉄:京阪本線開業時から設置。Osaka Metro:1990年(平成2年)3月20日、鶴見緑地線の当駅 - 鶴見緑地間開通と同時に同線の起点駅として開業。1996年(平成8年)12月11日、心斎橋までの延伸と同時に鶴見緑地線が長堀鶴見緑地線に改称、途中駅となった。2010年(平成22年)12月20日に可動式ホーム柵使用開始、2018年(平成30年)4月1日の大阪市交通局民営化により大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に移管された。
歴史は日本語版・英語版ウィキペディアより要約 · 最終確認 2026-06-09。
備考
京橋駅は大阪市北東部・北河内方面の玄関口であり、乗換駅としてはキタ(梅田)・ミナミ(難波)・天王寺に次ぐ規模を持つ。2003年(平成15年)9月19日に第4回近畿の駅百選に選ばれた。駅名は大阪城の北西において寝屋川に架かる京橋(橋梁)に由来するが、当駅よりも天満橋駅や大阪城北詰駅のほうが京橋(橋梁)に近接する。JR西日本の駅シンボルフラワーは「コスモス」で、2014年(平成26年)3月15日からは「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として「大阪うまいもんの歌」(『ゆかいな牧場』の替え歌)が大阪環状線ホームの発車メロディとして使用されている。京阪電鉄出町柳方面ホームの売店では1975年頃からフランクフルトが販売されており、2011年時点で1日平均700本が売れる人気商品で、客が電車を待つ短い時間にその場で立ち食いする「名物」となっている。1987年から中央口の側壁には巨大なからくり時計「モールクロック」が設置されており当駅の象徴であったが、2000年代初めの駅改装工事により撤去された。2016年9月8日、大東市の電動車椅子利用の男性が、ホーム間移動に最大5回のエレベーター乗り換えが必要なことを「憲法が保障する『移動の自由』を侵害している」として大阪地裁に提訴したが、2017年8月10日にJR西日本がエレベーター3基増設を含む京橋駅リニューアルを発表したのを受けて、同年12月8日付けで取り下げられた。