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九州新幹線

Kyūshū Shinkansen

九州新幹線は、新幹線網を日本の南の主要な島である九州へと延ばす高速鉄道路線である。福岡県の博多駅から鹿児島県の鹿児島中央駅までの実キロ256.8 km(営業キロ288.9 km)を結び、本州から関門海峡を越えてきた山陽新幹線を南へ延長する形で建設され、在来線の鹿児島本線とほぼ並行して島の西側を南下する。列車を運営するのは九州旅客鉄道(JR九州)で、鉄道施設は鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構、JRTT)が建設・保有し、JR九州に貸し付けている。ここで述べるのは整備新幹線としての「九州新幹線」のうち博多 - 鹿児島間を結ぶ「鹿児島ルート」であり、旅客向けには単に「九州新幹線」と案内され、別系統の西九州(長崎)ルートとは区別される。

九州新幹線の路線図 · 県境: 国土数値情報(国交省)
An N700 series Shinkansen arrives at Kagoshima-Chūō Station, the southern terminus of the Kyūshū Shinkansen.
An N700 series Shinkansen arrives at Kagoshima-Chūō Station, the southern terminus of the Kyūshū Shinkansen. — Junpei5885 · CC BY-SA 3.0 · Wikimedia Commons

歴史

計画の起源は1970年代初頭の高速鉄道計画の流れにさかのぼる。福岡市・鹿児島市間の九州新幹線は、全国新幹線鉄道整備法に基づく基本計画として1972年に公示され、1973年11月には整備計画が決定された5路線(いわゆる整備新幹線)の一つとなり、建設主体は日本国有鉄道(国鉄)とされた。その後、国鉄の財政悪化により計画は停滞し、1982年の閣議決定で整備新幹線計画は当面見合わせとされた。道が再び開けたのは1987年1月で、この見合わせの決定が変更された。建設費を抑えるため、当初は「運輸省案」が検討され、八代 - 西鹿児島間を新幹線規格で建設しつつ当面は狭軌を敷設する新幹線鉄道規格新線(スーパー特急方式)とし、博多まで最高200 km/hのスーパー特急を運行する構想であった。

鹿児島ルートの建設は1991年に始まり、同年に八代 - 鹿児島間の暫定整備計画が決定され、9月に起工式が行われた。起点はのちに新八代に変更された。1990年代後半には中間の船小屋 - 新八代間も同じスーパー特急方式で認可されたが、その後、国の方針は大きく転換する。2000年12月に政府は博多 - 鹿児島の全区間をフル規格で建設することを決定し、2001年4月に全線が標準軌・フル規格の路線として認可された。当初の狭軌による妥協案は撤回され、全区間が本格的な新幹線として整備されることとなった。

開業は南側を先行する二段階で行われた。2004年3月13日、南端の新八代 - 鹿児島中央間(126.8 km)がフル規格新幹線として開業した。これに合わせて終点の西鹿児島は鹿児島中央に改称された。北側はなお完成まで数年を要したため、JR九州は新八代で特徴的な対面乗り換え方式を採用した。新幹線「つばめ」は新八代で折り返し、乗客は同一ホームで在来線特急「リレーつばめ」に乗り換え、残る新八代 - 博多間を在来線で移動した。両列車は号数を共有し、1枚のきっぷで利用でき、南側では新幹線により新八代 - 鹿児島中央間の所要時間が約2時間から30分あまりへと短縮された。同日、並行在来線である鹿児島本線の八代 - 川内間がJR九州から経営分離され、第三セクターの肥薩おれんじ鉄道に移管された。同区間ではその後、運賃が約30%上昇した。

An N700-8000 series set on a Mizuho service at Hakata Station, the northern terminus of the Kyūshū Shinkansen.
An N700-8000 series set on a Mizuho service at Hakata Station, the northern terminus of the Kyūshū Shinkansen.Rick888chen · CC BY-SA 4.0 · Wikimedia Commons

7年後、北側が全線を完成させた。2011年3月12日、博多 - 新八代間(130.0 km)が開業し、鹿児島ルートは整備計画の決定から約38年を経て全線開業し、新八代での乗り換えは解消された。「リレーつばめ」は同日に廃止され、「つばめ」は各駅停車専用の種別とされた。しかし全線開業の日は、別の場所で起きた大災害の影に覆われた。3月12日には沿線各地で記念式典が予定されていたが、前日の2011年3月11日に東日本大震災が発生したため、開業の祝賀行事は全て中止となった。2011年6月19日には博多駅などで「百日祝い」の仕切り直しの出発式が行われ、遅れた門出と震災からの復興への願いの両方が込められた。

全線開業は同時に、この路線を象徴する運行形態、すなわち山陽新幹線への直通運転と新大阪までの直通をもたらした。2011年3月12日から2つの新しい直通列車の運転が始まった。最速達の「みずほ」は新大阪 - 鹿児島中央間を最も速く結び、「さくら」は停車駅を増やしつつ定時の直通列車を担い、いずれもJR西日本の山陽新幹線へ直通し、さらに新大阪での乗り換えにより東京まで連絡している。一方、各駅停車の「つばめ」は九州新幹線内にとどまり、主に博多 - 熊本間を結ぶ。直通運転は1日15往復で始まり、車両の増備を経て2012年のダイヤ改正で23往復に増やされ、新八代付近の徐行が解除されたことで所要時間もさらに短縮され、最速の新大阪 - 鹿児島中央間は最速3時間43分に短縮された(JA rev 109283577; EN rev 1349210458のサービス欄は現在のみずほの所要時間として3時間45分を記載)。全線開業により博多 - 鹿児島中央間は約1時間19分に、博多 - 熊本間は約33分に短縮された。

路線は、長大トンネルと急勾配を前提に設計された2形式の標準軌・複線の新幹線車両で運行される。全線の約半分がトンネルで、一部区間には新幹線最急の35パーミル勾配がある。800系は、既存の700系をもとに日立が開発し、2004年の部分開業時に投入された6両・全電動車の形式で、和風の内装を備え、勾配に対応するため全車両が動力車であり、最高速度は路線上限の260 km/hに抑えられている。800系は9編成が在籍し、後年の編成は内外装が変更された。新大阪への直通用には、JR九州とJR西日本がN700系の8両編成(7000・8000番台)を共同開発し、長い下り勾配に対応するため全台車に抑速ブレーキを備えた。車両自体は300 km/hでの運転が可能だが、九州新幹線内では路線の設計速度である260 km/hで運行されている。直通用のN700系は2012年春までに29編成(JR西日本19編成・JR九州10編成、計232両)に達し、同年夏にさらに1編成が加わった。最高速度は、博多総合車両所分岐から鹿児島中央までの長い南側区間で、設計速度である260 km/hである。

N700-7000 series on a Sakura service at Okayama Station, 2020
N700-7000 series on a Sakura service at Okayama Station, 2020brian25_tw · CC BY-SA 2.0 · Wikimedia Commons

九州新幹線は、島内および関西方面への移動を大きく変えた。全線開業から半年後の2011年9月、JR九州は、熊本 - 鹿児島間の島の南部における利用が前年比で約64%増加し、同社自身の40%増という予測を大きく上回ったと発表した。一方、在来線の快速列車や私鉄、高速バスと競合の激しい北部では、増加は38%程度にとどまった。より長期的には、機関分担率の変化が顕著であった。福岡 - 鹿児島間では、鉄道の分担率が1990年代初頭の約5割から、2004年の部分開業後に約3分の2へ、全線開業後には約84%へと上昇し、航空の分担率は数%にまで落ち込んだ。より長距離の関西方面ではその変化はさらに大きく、関西 - 熊本間では鉄道と航空の分担率が逆転して鉄道が過半を占め、関西 - 鹿児島間では航空が90%超から約3分の1へと低下した。全線の平均通過人員で見ると、2000年代半ばに孤立した南側区間で1日約8千人だったものが、全線開業後には約1万6800人へ、コロナ禍直前の数年には約1万9千人へと増加した。新型コロナウイルスの影響で2020年度には1日あたりの利用と収入が半分以上落ち込んだが、その後は着実に回復し、直近の年度では再びコロナ禍前の水準に近づいている。

この路線にとって最も深刻な試練となったのは、2016年の熊本地震であった。2016年4月14日夜のマグニチュード6.5の前震と、16日未明のマグニチュード7.3の本震は、いずれも最大震度7で、鹿児島ルートに大きな被害を与えた。前震の際には9本の列車が走行しており、熊本から回送中の800系1編成が熊本駅から約1.3 kmの河川橋梁上で脱線し、本震でさらに動いたが、他の全列車は地震感知による緊急停止で脱線を免れた。構造物は1995年の阪神・淡路大震災級の地震に耐える基準で設計されていたため致命的な構造的損傷は免れたものの、橋脚受け部の破損や多数の防音壁の落下が生じた。運転は数日かけて段階的に再開され、地震発生から13日後に全線で運転を再開し、翌日には山陽新幹線への直通運転も再開された。一部区間ではその後も長く徐行運転が続いた。

最初の列車から20年余り、全線開業から10年余りを経て、九州新幹線は西九州の高速鉄道の背骨として、また島と本州を結ぶ高速の連絡路として機能し、「みずほ」「さくら」「つばめ」を256.8 kmの路線上で最高260 km/hで運行している。段階的な建設、狭軌からフル規格への計画変更、対面乗り換えの「リレーつばめ」の時代、そして新大阪への直通運転は、いずれも全国の新幹線網の整備の中で、この路線をひときわ特徴的な一章としている。

年表

  • 1972The Kyūshū Shinkansen (Fukuoka–Kagoshima) is named in the basic plan publicly announced under the Nationwide Shinkansen Railway Development Act.
  • 197313 November: development plans are decided for five planned-network (seibi) Shinkansen lines, including the Kyūshū Shinkansen, with JNR named as builder.
  • 1982September: a cabinet decision shelves the planned-network Shinkansen lines amid JNR's financial difficulties.
  • 1987January: the suspension is reversed, reopening the path to construction; a cost-saving 'Transport Ministry plan' envisages an initial narrow-gauge Super Express to Hakata.
  • 1991Construction of the Kagoshima Route begins; a provisional plan for the Yatsushiro–Kagoshima segment is settled and a groundbreaking ceremony is held in September. (EN: construction of the Kagoshima route began in 1991.)
  • 2000December: the government resolves to build the whole Hakata–Kagoshima corridor to full Shinkansen (full-spec) standard, abandoning the narrow-gauge plan.
  • 2001April: the entire Hakata–Kagoshima route is authorised as a standard-gauge, full-spec line.
  • 200413 March: the southern Shin-Yatsushiro–Kagoshima-Chūō section (126.8 km; EN rounds to 127 km) opens; the 800 series enters service; Nishi-Kagoshima is renamed Kagoshima-Chūō; passengers change cross-platform at Shin-Yatsushiro to the Relay Tsubame; the parallel Kagoshima Main Line (Yatsushiro–Sendai) passes to Hisatsu Orange Railway.
  • 201112 March: the northern Hakata–Shin-Yatsushiro section (130.0 km) opens, completing the Kagoshima Route ~38 years after its plan; Mizuho and Sakura through services to Shin-Ōsaka via the San'yō Shinkansen begin, Tsubame becomes the all-stations service, and the Relay Tsubame is withdrawn. Opening ceremonies along the line are cancelled after the Tōhoku earthquake of 11 March; a 'hundred-day' send-off follows on 19 June 2011.
  • 2011September: six months after full opening, JR Kyushu reports ridership up about 64% year-on-year in southern Kyūshū (Kumamoto–Kagoshima), beating its 40% forecast; the northern corridor rises about 38%.
  • 2012Spring timetable: through services to Shin-Ōsaka increase to 23 round trips a day and journey times shorten after slow-running near Shin-Yatsushiro is lifted; fastest Shin-Ōsaka–Kagoshima-Chūō reaches 3 hours 43 minutes (JA rev 109283577; EN rev 1349210458 gives current Mizuho end-to-end as 3h45m).
  • 2016April: the Kumamoto earthquakes (M6.5 foreshock 14 April; M7.3 mainshock 16 April, both max intensity 7) damage the route; a deadheading 800-series set derails near Kumamoto. The full line reopens 13 days later, with San'yō through running resuming the next day.

出典